虚構を重ねて作るリアリティ
原 そうですか。それは私は知りませんでしたけども、それは創作だとすれば、なお私は今、非常に興味が湧いてきたんですが、深作監督はなぜそれを、そういうシーンを作ったのかということが興味が出てきます。
深作 やはり浮気小説というものが本人の頭の中で生まれ、それを本人の原稿用紙に、本人が本人の手で書くというだけでは、これは普通の告白体、私小説と全然変わりありませんよね。ほかの人物が登場する必要もないわけだから。それで、その浮気小説を奥さんが書いたときのリアクションで2人の関係、夫婦関係ということのユニークさを表したかったし、また、そのあと、そのときにちょうど矢島恵子というのが妊娠してて、大げんかして帰ってきたら堕胎して、また、やっと2人がしっくりしかけると、実は留守の間、奥さんに口述筆記してもらったってなるとカッとなって大げんか始まるというシチュエーションになってるわけですが、あれも、原作も何十年かの小説ですからね、それを圧縮してドラマティックにまとめあげているので、そういうところの人間関係、それが今日のせっかちにテーマに則して言えば、檀さんが書かれたよりもさらにそれを圧縮したドラマツルギーに否応なく、映画の場合はたかだか2時間ぐらいのところで勝負しなきゃなりませんから。檀さんはあの原作を20年間ぐらいにわたって書かれたんですよね。それは20年間にわたる時間を書いておられるわけで、こちらはそれを圧縮して1年半ぐらいの感じで描いてるわけで、その差がやはり一つの虚構という作業を二重、三重にとおしていきながら、檀さんご自身が二重、三重にとおしたものを、またさらにこちらが受け取って、二重、三重に作っていくと。その結果があの映画だと思うので。
原 奥さんが口述筆記を書いていきますね。ほぼそのシークエンスの一番ラストのところで、奥さんのくだりですね、私ちょっとそこは違いますってニヤッと笑いますね。あそこのシーンがまさに井上光晴さんと郁子さんの関係が、実際にはそういうやり取りがあったかどうかはわかりません。しかし、あのニヤッと笑う、あのいしだあゆみの笑顔を見ながら、多分井上郁子夫人も、笑ったかどうかはわかりませんが、ああいうやり取りが井上さんとの間であったんじゃないかなっていうふうな妙なリアリティーを、それは間違いかもしれない、しかし僕には妙にリアリティーがあるシーンだなっていうふうに見えたんですよ。
深作 それが大変私としては嬉しいし、面白く伺ったんですが、つまり奥さんがその間中、痛い痛い、きついきつい、を連呼しながら、10日まで寝ついていたと。そうすると、嘘です、私が寝ついてたのは3日間です…、10日あまりも寝ついたままでいたというのは原作にはなくて、別の随筆にあるんですよね、檀さんの。それで、これは面白いから、それを持ってこようというわけで、ああいうふうなシチュエーションに作ったわけです。そうすると、当然奥さんが「嘘です」と言うたのは、その随筆には書いてないわけですよ。「嘘です」と言ってニタッと笑った。それは私の脳で作り上げたフィクションなんですよね。でも、やっぱりそのお芝居を煮詰めていくと、そういうオチを持ってこないと、これはお芝居が成立しない。そうすると、これは虚構っていうのは何かっていうと、嘘八百に違いないわけですけども、その嘘が生きてくるなら、つまり真実に見えるなら、嘘も本当もあるもんかと。こっちが本当だってつまんない本当はありますからね。この非常に魅力的な真実を、そこに生み出してくれるものならば、われわれにとってはもうそれが嘘だろうと本当だろうと関係ないわけですよね。真実っていうのは別のもんだという気がするんです。嘘も本当も越えたですね。あの原作、つまり『火宅の人』によるばかりでなくて、その前の傑作の『リツ子・その愛』とか、そういうところから持ってきたシチュエーションも随分ありましたし、いろんな随筆から持ってきた。そして何かこの、言ってることも違うんですよ、当然ね。檀さんが同じ事件について。そうすると、それも嘘、本当を選別するという形ばかりでなくて、全部塗り込めながら、一つの人間模様ができあがらないかと思ったわけで、そして、そういう方法を私が取ったことについて、檀さんや、この奥さんがどう思われるか。檀さんは亡くなられてるから伺う余地もなかったんですが、奥さんの場合には随分いろいろお呼びになって、ごくろうさまでしたとおっしゃっていただきましたけれども、それはそれで許してくださったんだろう、こちらのそういうこのフィクションの作業を、というふうに考えておりますけれども。
原 なるほどね。ちょっと断片的になりますが、それからその共通点をもう一つ言えば、子どもたちが檀一雄のことを父、これは本当、事実だったんですかね。
深作 これは本当ですね。
原 井上さんのうちも娘2人いるんですよ。やっぱり父って言ってましたね。そういうとこは同じですね。
深作 あれはね佐藤春夫さん、つまり、檀さんが師事されておられた佐藤春夫の影響というか、示唆に基づいたというようなことを、どこかで読んだ記憶があって、それを一生懸命探したんですけれども、何で読んだか、それはついに見つからなかったんですが、佐藤さんのお宅では父、母というふうな呼ばせ方はなさってなかったように思うんですがね。そこんところは佐藤さんのお宅には確かめてないので、わからないんですけれども。
小林 それから、『全身小説家』の中には、井上さんのお父さんのエピソードは出てくるんですね。私たちはお父さんの話もそうなんですけども、母親神話もいっぱい聞いてるんですね、井上さんから。一番有名なのは、お母さんが年下の帝大生と駆け落ちをしたと。これはもう誰が聞いても、檀一雄さんのお母さんのエピソードだなってみんな思うんですけども、井上さんはそうおっしゃってるんですね。本当は、ちょっと実はいろいろよくわからないところがいっぱいあるんですけども、「日々新聞」の編集者の奥さんになったとか、三つ四つエピソード持ってるんですね。その帝大生と駆け落ちをしたっていうの、やっぱり憧れてたんじゃないでしょうかね、この『火宅の人』の、檀一雄に。
深作 そうですかね。20年前、その話は檀さんのほかの作品で、随分ふれられておられますからね。お母さんが帝大生と駆け落ちしたというのは。もう終戦後すぐのときには井上さんが作家活動に入られる頃は、そういう檀さんの書かれたもの、随筆や何か、そういうものは当然お読みになってたでしょうね。
原 そうでしょうね。とにかく井上さんの少年時代、青年時代の頃、実はこんなことがあったっていうふうにいろいろ出てくるんですよね、小説とか、随筆とか。あるいは井上さんは自叙伝をぬけぬけと虚構伝というふうに表現なさったんですが、そういうのを読んでいきますと、例えば鹿児島大学に一時いたことがあると。自分が大学生のときにマントを着てたと。それで自転車に乗って、後ろに女学生を乗せて走ったと。これ、『青い山脈』なんですよね。
深作 (笑)
原 今言った帝大生と駆け落ちっていうのは、『火宅の人』ですよね。これは実は大西巨人さんが井上さんと若い頃、仲よかったんですよ。大西巨人さんに「実は井上のあのエピソードの元は、ここなんだよ」って、いくつか教えてもらったんですよ。その『青い山脈』も、実は大西巨人さんに教えてもらったエピソードなんですよ。つまり、ものすごく通俗的なんですね、井上さんのその嘘の出どころが。
深作 (笑)
原 にもかかわらず、後年、いろんな女性関係のときにいろいろ、だいたいばれますわね、そういう嘘は、女性関係のことを隠しても。それをさっき小林が言いましたけども、とにかく隠しとおすと。その一つのエピソードがですね、寂聴さん。
小林 瀬戸内寂聴さんと井上さんはもう有名な関係だったんですけど、それで瀬戸内寂聴さんから熱烈なラブレターを、それを洋服ダンスの中から郁子さんが見つけて、これはもう動かぬ証拠だからって言って光晴さんに突きつけたんだけど、そういう動かぬ証拠を目の前に突きつけられても、これは何かの間違いだと。
深作 (笑)
小林 こんなことは絶対に違うと。もう絶対。だから、もうそこまでいくと郁子さんが笑い出しちゃうんですって。そう言ってらっしゃいましたね。その代わり、いつも離婚届に判を押して、郁子さんは自分の分を。そして、いつもハンドバッグに入れてらっしゃったんですね。でも、光晴さんのほうは、もう絶対に認めないっていうか、して欲しくないっていうか。
深作 そら、判を押した離婚届というのは、井上さんにしてみれば、いつもドスを突きつけられてるような感じだったんでしょうね。
小林 そうでしょうね。
原 とにかく井上さんは、やっぱりコンプレックスっていうのが非常に強いっていうか、実際に、尋常小学校ですよね。だから、絶えず行動原理として、非常にコンプレックスが強くて、檀一雄にあこがれるとか、社会的な上のもの、ハイソサエティの部分にあこがれるとか、大体そのいろんなエピソードを探っていくと、根っこは大体そこへ行き着くというような人間像なんですね。そういう人間像がだんだんわかってくればくるほど、井上さんに僕が抱いてたイメージ、無頼の人っていうイメージがどんどん崩れていくんですよね(笑)。井上さんっていうのは、本当は無頼の人であってほしかったなっていうのが取材を進めていくにつれてそうじゃないというのが、わかってくる過程であったわけですよね。その過程がしかし同時にじゃあ井上さんのそういういろんな場面でついてる嘘、あるいは虚構ですよね。虚構っていうことは、実人生の中で井上さんがいろんなその虚構を作り出してる、その虚構もある日突然じゃなくて、いろいろ修正されていってるんですよね。そして、最終的にある形、ある物語に一生かけて作り上げていったっていう気配っていいますか、軌跡が見えてきたわけですね。それで当初、私は井上さんに非常に観念的な部分で、虚構を井上さんに生身で見せてほしいって、漠然とそういう思いがあったんです。つき合っていくうちに、一生をかけて、自分の人生それ自体を虚構化してきたんだなっていうことがわかってきたんですね。そういう一生をじゃあ、そういう一生として描くというふうに、映画としては、そういう物語を作っていこうと、撮影をしながらそういうふうにイメージが固まってきたという感じがありますね。