原 はい。まあね。監督と女優との関係は分かりました。ちょっと僕の問題の出し方もまずかったんですが、それは分かりましたんで、それはおいといてですね。
深作 うん。
原 今のお話の中で、僕の感じ方と、ああ違うんだなと思ったのはですねえ、例えば、これ実際にやるかやらないか、いつかやってみたいし、いつかやってみなけりゃいけないなっていうふうに思っていることがあるんですね。ええ、それは多少やってきたような気もするんですけれども、つまり日々自分が起きているいろいろな感情をですね、それは男女の関係ということに絞りますが、日々感じているまさに男と女のドラマをですね、それを丸ごとこう記録していきたい、キャメラを回していきたいという欲求が非常に強いということはあるんですね。
深作 あるでしょうね。うん。
原 それは発酵しないと描けない、というような発想では全くなくて。
深作 そこがね、ずばりフィクションを基調としたドラマと、ドキュメンタリーの方法に基づくドラマとの違いだと思うんです。今思い出したのは、あの今村昌平さんがね、『人間蒸発』という映画をお撮りになったときに、これは僕も伝聞だから分からないけれども、あのモデルの女性、俳優さんじゃないですよね。ナレーターは、どなたとおっしゃったっけ…?
原 露口茂。
深作 露口さんだったと。それで、露口さんとその女性とのふれあいの中であるこの情緒的な関係が成立し始めた、それはおもしろい、ということでイマヘイさんがけしかけたと。露口さんを。そして望遠でもって、女性をね盗み撮りした、という話を聞いたことがありますが。
原 そうです。
深作 それは、それが本当に面白かったのかどうかというとね、それは確かに、その他の場面の方が面白かったんですけどね。あの映画は。
原 はあはあはあ、なるほど。
深作 だからこれもね、ドキュメンタリーでさえ、そういうもの、このナマの人間関係が面白くなるとはとても限らない。面白くなる場合もあるかもしれません。限らない。それから今の例でいえば、イマヘイさんに即していえば、これは札付きのあの人のことだから我々が言っても悪口にはならないだろうけれども、『神々の深き欲望』か。沖山君の…。
原 ええ。
深作 あの人物は面白くなったとは思えない。
原 なるほどねえ。
深作 あれよりはやっぱり『赤い殺意』の春川くんとかね、『にっぽん昆虫記』の左くんの方がずうっとずっと面白かったですよね。
原 幸子さんね。
深作 それは、関係があったかどうかは知りませんよ(笑)。ずっとずっと面白かった。というような、ことなんじゃないかなあと思いますが。つまり、それがね、それが男と女のドラマをどう描くか、それはおそらくドキュメンタリーも劇映画もおそらくやっぱり、生すぎてはダメなんだろう、発酵される関係がないとね、発酵する。それは短くてね、まあ2ヶ月か3ヶ月のあいだに発酵しないとも限らないとは思いますけれども、うーん、やっぱり、この表現っていうかな、表現というのは、そう甘いもんじゃなかろうという気が、僕はしちゃいますねえ。
原 なるほどね。そろそろ時間が…。なんかありますか? あなたは聞きたいことは、ない?
小林 あはは。
深作 まあ…。
原 彼女は黙って座って発言しないと、あとで異議が出るんで、どうぞ。
小林 えっと昨日は…。
原 昨日はどうでもいいから、今日の話。
小林 今日は一応前半でいろいろお聞きしましたんで、また明日に。
深作 そうですねえ、明日はそちらにお任せして、こちらは後ろの方へ引いてですね、もっぱら拝聴する方に回りたいと思うんですけれども。
原 虚構というテーマは難しいんです。で、自分自身もよく分かっていないことを相手から聞き出そうというその魂胆があって、しかし自分が分かっていないことを聞き出そうというのはなかなか難しゅうございますねえ、監督。
深作 難しいですねえ、そしてそういう自分の根幹に関わる部分であるだけに。
原 ですからね。
深作 自分の中ではのたうってとぐろを巻いているんですけれども言葉になって、なかなか出てこない。
原 なかなかね。ということで、悪戦苦闘はしたつもりですね、監督ね。ということで、今日はうまく行ったかどうか、あまり自信はありませんが、今日はこれで終わりにします。ありがとうございました。
(拍手)
※第3回「エロス篇」に続く
【登壇者プロフィール】
深作欣二(ふかさく・きんじ)
1930年茨城県水戸市出まれ。日大芸術学部を卒業後、1953年東映に入社。1961年に『風来坊探偵・赤い谷の惨劇』で監督デビュー。72年『軍旗はためく下に』でタシケント映画祭平和賞。73年から『仁義なき戦い』以降、仁義シリーズ5部作を発表する。その後、テレビ時代劇『必殺シリーズ』のシリーズ第一作『必殺仕掛人』で鮮烈なシリーズの幕開けを行い、次のシリーズである『必殺仕置人』のために深作が考案したキャラクター「中村主水」が確立される。その他『柳生一族の陰謀』(78)『魔界転生』(81)などの娯楽大作、つかこうへいの舞台を映画化した『蒲田行進曲』(82)などを手がける。2003年3月12日、『バトル・ロワイアルⅡ』撮影中に前立腺癌により死去。
原一男(はら・かずお)
1945年、山口県生まれ。東京綜合写真専門学校中退。60年代後半~70年代初頭にかけて田原総一朗が東京12チャンネル(現・テレビ東京)で手がけていた過激なTVドキュメンタリーに大きな影響を受ける。71年、知己を得て、田原作品「日本の花嫁」に、最初の妻である武田美由紀、二人の子である零とともに出演。72年、小林佐智子(現夫人)と共に疾走プロダクションを設立、同年ドキュメンタリー映画『さようならCP』で監督デビュー。次作『極私的エロス・恋歌1974』(74)を発表後、撮影助手、助監督を経て、87年、日本ドキュメンタリー史に燦然と輝く傑作『ゆきゆきて、神軍』を発表。日本映画監督協会新人賞、ベルリン映画祭カリガリ賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ受賞。94年の『全身小説家』もキネマ旬報ベストテン日本映画第1位など高い評価を受ける。著書に、「踏み越えるキャメラ」(95)。
06年から大阪芸術大学映像学科教授に就任。14年2月、大阪・泉南のアスベスト被害者に6年間にわたって密着した20年ぶりのドキュメンタリー映画監督作『命て なんぼなん? 泉南アスベスト禍を闘う』を発表。また同年4月から、東京・アテネフランセで、セルフドキュメンタリーの魅力を深く掘り下げるセミナー、new「CINEMA塾」を開講中。映画「トキワ荘の青春」には、親しい間柄だった故・市川準監督にキャラクターを買われ、学童社編集長・加藤謙一役として出演している。
new「CINEMA塾」ホームページ:http://newcinemajuku.net
小林佐智子 (こばやし・さちこ)
1946年新潟市生まれ。新潟大学人文学部仏文学科卒業。72年 原一男と共に疾走プロダクションを設立、プロデューサーとして『さようならCP』『極私的エロス・恋歌1974』『ゆきゆきて、神軍』『全身小説家』を製作。04年には劇映画『またの日の知華』を脚本・製作。他に TVドキュメンタリー『追跡731部隊」(92,演出)『映画監督浦山桐郎の肖像』(98,構成)『花のいろは 歌舞伎役者・片岡仁左衛門』(03,構成)。ビデオ作品『学問と情熱 高群逸枝』(02,脚本)『旅するわっぱ-イタリア社会的協同組合を探ねて1・2-』(03,演出)などを手がける。11年 4月より大阪芸術大学映像学科客員教授。