【Interview】ドキュメンタリストの眼⑪ 『イラク・チグリスに浮かぶ平和』綿井健陽監督 インタビュー text 金子遊

『イラク チグリスに浮かぶ平和』©ソネットエンタテインメント/綿井健陽

『イラク チグリスに浮かぶ平和』

——『チグリスに浮かぶ平和』は『リトルバーズ』の映像もいくつか入っていますが、やはり10年という月日が経つと、そこには人生や歴史や運命といったものが出てきます。さまざまな人たちを追跡取材しているのでしょうが、アリ・サクバンとその家族を追ってきた10年間がこの映画に入っています。しかも、アリさんは72年生まれで綿井さんの一歳年下の同年代ということもあります。

綿井 僕はわりと人探しが好きなんです。その人の顔写真を持って「この人はいまどこにいるか知っていますか」と聞いて歩く。いつも誰かに取材するたびに、住所や連絡先とか顔写真、何かしら手がかりは記録するようにしています。住所はあまり当てになりませんが、写真があると何とかたどり着けることが多い。フセイン政権が倒れて、象徴的なフセイン像を引きたおすという出来事がありましたが、あれから10年経って、あの場にいた人たちのその後の人生はどうなったのか、というのは一つのテーマとして設定いました。生きている人も亡くなった人も、とにかくできるだけ、会えるだけ会おうというのは、2013年のバグダッド再訪のときに考えていました。  

ひと口にイラク取材といっても、この10年間でさまざまな変化がありました。イラク戦争開戦後の1年くらいまでは、アメリカ軍による制圧と占領という形であり、図式としてはわかりやすさがあった。2005年くらいから、イラクの国づくりが本格化する一方で、イラク国内で政治権力抗争や宗派対立が激しさを増していきました。2006年から2007年あたりはそれが激化して非常に取材がしづらく、外国人がひとりで町を歩いたりすることも困難でした。2013年になると多少は治安がよくなったかと思っていたら、今年は「イスラム国」のような脅威が出てきてしまった。そのなかで、アリ・サクバンとその家族というのは、80年代のイラン・イラク戦争、90年代の湾岸戦争、そしてイラク戦争をくぐってきたイラクの戦乱の歴史のひとつの象徴だといえると思います。アリさんとその家族を追うことで、 イラクの戦乱の歴史とイラク人たちの日常も見えてくると思いました。ドキュメンタリー用語で「ビッグ・ピクチャー」(大きな画)といいますが、主人公のアリさんの背後にある、イラク人全体の戦争被害の「ビッグ・ピクチャー」も見えるだろうと考えていました。

——爆破事件の現場や病院での取材に比べて、アリ・サクバンさんの妻や両親、娘のゴフランちゃんを取材する場所は家のなかという空間ですね。今回は、綿井さんがその静かな空間の奥深くへ入り込んでいる感じが、強く伝わってきました。おそらく人間関係としても信頼ができているのでしょう。綿井さんはプレスリリースで「追悼ドキュメンタリーにはしたくなかった」と書いていますが、個人的な感情もいろいろとあるのではないでしょうか。

綿井 最初はアリ・サクバンさんとは、取材対象という形でつき合いはじめたわけですが、そのうちに彼や家族と波長があうようになっていきました。少しずつ関係性はできていったといえるのかもしれません。アリさんに携帯電話を渡して持たせていたのだけれど、音信不通になってまったく会えない時期も長くありました。地元イラク人でも、彼の住んでいる地区に近寄れないような時期もあった。ですから、ずっと密着できたわけではなく、通い続けて会えたときの彼らの姿を取材しているわけですが、ドキュメンタリー映画作品としては何とか成立させることができたと思います。2013年にイラクへ入り、アリ・サクバンが亡くなったと報せを受けて、たしかに気が動転しました。それまでのイラクでの取材・撮影も全て無意味だったように感じた。アリさんがどのように亡くなったのか、そのときの様子や背景を関係者のインタビューから、彼の死を描いたのですが、それと同時に、「遺された人たち」の物語にしていかなくてはいけないとも強く思いました。単にアリさんの家族だけではなく、イラク人全体の「遺された人たち」を描くという意味もあります。

アリさんの死でもって映画が終ってしまうと、観ている人も「悲劇のイラク人家族」「亡くなってしまってかわいそう」というような感情しかわきませんが、もう少し深いところで、イラク戦争を問いかける形で描きたかった。イラク戦争によって、何かしら重い傷を抱えている人たちの姿や言葉の群像によって、戦争がもたらしたものを表現したかったのです。それからやはり、2003年のイラク戦争のときと10年後で人びとの考え方がどのように変わったのか、それを知りたかった。特に、あのサダム・フセイン像を倒して歓喜にわいた人たちが、今それをどのように考えているのか、ずっと気になっていたことです。

——アリ・サクバンさんが亡くなった後、彼の父母の老夫婦が暮らすようになっています。映画のラストで、その空っぽになった誰もいない部屋を、かなり長いショットで積み重ねていきますよね。あれは非常に映画的な編集だと感じました。

綿井 この映画では、最初から「イラク戦争の10年後」に焦点を当てて撮ろうと決めていました。2003年のイラク戦争のとき、病院で3人の子どもたちを米軍の空爆で失ったアリ・サクバンと出会ったわけですが、それでも近所の人たちからお金を借りて家を修復し、親せきが集まって、またそこに新しい子供たちが生まれてきて、アリを中心に人の輪ができるにぎやかな家だったんです。それが2013年に久しぶりにイラクへ戻ると、アリ・サクバン自身が武装組織に殺されて亡くなったことを知った。サクバンさんの家を再び訪ねたときに、彼がいなくなった家の空間の寂しさを感じました。家族が次々と戦争で消えていく空虚な空間が、庶民にとってのイラク戦争のひとつの帰結だろうと思ったんですね。それで、相当時間を取ってカメラを回しました。「戦争で失われたこの空虚な空間を、どう自分の撮影と映像で表現するか」、この映画の勝負どころだと思ったのです。それまではアリ・サクバンを中心にして、彼と子どもたちや家族の関係を撮っていたのですが、10年後は遺された老夫婦の悲しみへとシフトしています。取材・撮影をしていく中で、自分なりの発見をして記録・表現していく。それがドキュメンタリーの醍醐味だと思っています。  

一方で、撮影における現実問題もありました。2013年にイラクへ行ったときは治安がまだまだ悪くて、商店街や外の通りを歩きながら撮影するということが難しかった。だから、家の中のシーンがどうしても多くなっています。バグダッドでは、カメラを持っているだけで、警察や民兵組織の標的になる可能性も高く、外での撮影は本当にやりにくかったですね。 08年にアリ・サクバンが亡くなった経緯も、弟の八百屋を手伝っていて、最後は自分で屋台をやっていたんです。そこを武装勢力に、襲撃されて射殺されました。2006年から2008年ごろというのは今より治安はずっと悪くて、ほとんど内戦状態であり、宗派の違いだけで標的になって、襲撃や爆弾テロも今よりも起きていた時期です。警察・治安部隊、民兵組織による、バグダッド市民の大量処刑も横行していました。

 

©ソネットエンタテインメント/綿井健陽

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