【Interview】ドキュメンタリストの眼⑪ 『イラク・チグリスに浮かぶ平和』綿井健陽監督 インタビュー text 金子遊

©ソネットエンタテインメント/綿井健陽

——報道ニュース、テレビ・ドキュメンタリー、ドキュメンタリー映画という形式の違いについてはどうでしょうか。メディアが変われば、見せ方も変ってくると思うのですが。

綿井 NHKBS1で今年6月に「イラク 終わりなき戦争〜ある家族 10年の記録〜」という番組を放送しました。そこでは49分の尺において、完全にアリ・サクバンさんとその家族の内容だけを扱いました。アリさんが亡くなった後の両親のエピソードもほとんどなく、父と娘のゴブランだけを扱うというシンプルな物語です。テレビでのやり方、映画でのやり方はいろいろ異なりますが、最終的に納得いく完成形をアウトプットするとなると、やはりどこかでテレビの不自由さ、窮屈さみたいなものは感じることがあります。テレビのオンエアが終ったあとと、映画が完成したあととでは充実感も全く違いますね。  

テレビ版の方では、アリ・サクバンの兄たちがイラン・イラク戦争で亡くなったくだりも抜けており、ここ10年の出来事だけに収斂するようにな、わかりやすい「父と娘の物語」になっています。テレビという媒体では、自分のやりたい部分を7割くらい出せればいいのではないでしょうか。しかし、逆に7割以下だと、テレビでやる意味合いが無くなるとも言えます。テレビを観る人の絶対数や影響力、報酬も含めて、「自分はテレビはやらない」という選択肢は今のところは無いです。そこは自分の生き方や表現スタイルとしては、せめぎ合いでしょうね。自分のやりたいことを100%に近い形で出したいのであれば、それはやはりドキュメンタリー映画になってくるのだと思います。テレビ番組での国際共同製作において、欧米のテレビプロデューサーと話をすると、テレビと映画では尺の長さなどに違いはあっても、同じ「ドキュメンタリー作品」であり、テレビと映画によって内容や見せ方が変ってくるという考え方は、日本ほどは強くはありません。

——日本政府は2014年に集団的自衛権容認の閣議決定し、さらには多国籍軍に参加できるように、「集団安全保障」という言葉も政治家の口が飛びだすような不穏な空気になっています。戦後69年のあいだ「戦争」ということを他人事で見てきた日本が、これからはアメリカを中心とする多国籍軍とともに戦闘へ自衛隊を派遣するという事態を可能にしようとしている。綿井さんは長いあいだ戦争の現場を取材さなってきたわけですが、日本がそのような方向へむかうことについて、いまどのようにお考えでしょうか。

綿井 この映画から、もし集団的自衛権の議論とリンクさせるならば、いったん戦争がはじまってしまったら、現場では味方であるとか敵であるとか、同盟国だとか敵国だとかいう区別なんて通用しないということです。戦争がはじまれば、その場にいるすべての人びとが巻き込まれていく。それが戦争です。「われわれは人道支援できています」「普通の市民です」なんて言い分は通用しない。いまイラクで台頭するイスラム国によって、アメリカ人やイギリス人の斬首映像が出回っています。もしこれから日本人の大使館員や企業の駐在員が次々と襲撃されたり、殺害されたりするような目にあったときに、日本政府はどのように対応するのでしょうか。

たとえば10年前の2004年のイラクで、旅行者の香田証生さんが誘拐されて、武装勢力に首を斬られて殺害されて、その映像がインターネットで公開されるという事件が起きました。あのとき、武装勢力は日本の自衛隊のイラクからの撤退を求めましたが、当時の日本政府がそれを拒否した。つまり、当時の小泉政権は日本人の香田さんを守るどころか、見殺しにしたわけです。彼は民間人でしたが、一方でイラクに派遣されていた日本の外交官2人が射殺される事件が2003年にありました。あのときは「尊い日本人の犠牲」「テロに屈するな」という雰囲気ができあがった。この国では、「救うべき人」と「救わなくてもいい人」が、政治家の発言やネットなどを通じて規定されるのでしょう。

イラク自衛隊派遣においては、それがたとえ誤射であっても、もしイラク人を撃って死傷者が出てしまった場合はどうなっていたでしょうか。あるいは、自衛隊ではなくて、民間警備会社に所属する一般の日本人で護衛活動をしていた人がいましたが、彼らをどのような立場としてみなすのかという問題もあります。 国籍としては日本国籍を持っていますが、彼らは自分の意志や民間の仕事の契約として武器をもって、紛争地にいるわけですよね。ですから、従来の国際法や国家の軍隊という概念では通用しない事態が出てきていると言えます。

——そのような事態は、ジャーナリストの活動にも影響が出るんじゃないでしょうか。

綿井 それはあるでしょうね。今までは海外取材において、日本人であることは多くの場合はアドバンテージだったのですが、今後自衛隊がアメリカ軍の後方支援をもっと広範囲でするようになると、「私は日本の民間人です、日本の報道関係者です」という言い分も通用しないでしょう。それでいて、現場においても国家や国籍みたいなものがせり出てくるから、パスポートや国籍だけで、誘拐されたり殺されたりする可能性が高くなってくる。さらにフリージャーナリストの場合は、そこに「自業自得」「自己責任」だと国内では非難されるのではないか。そのようななかで、どのように活動していくか……。 でも、何だかんだ外から言われても、自分のような映像取材・撮影者は、現地に行って取材や撮影をして、それを番組や映画として表現・記録する以外にはない、それ自体は今後も何も変わらないとも言えます。

『イラク チグリスに浮かぶ平和』
(2014年/日本/108分/BD・DCP/ドキュメンタリー)

プロデューサー/小西晴子
監督・撮影/綿井健陽
編集/辻井潔
配給/東風
製作/ソネットエンタテインメント・綿井健陽

10/25(土)よりポレポレ東中野にて公開中。全国順次公開

【監督プロフィール】

綿井健陽(わたい・たけはる)
1971年生まれ。映像ジャーナリスト、映画監督。97年からジャーナリスト活動を始める。98年からフリー・ジャーナリスト集団「アジアプレス・インターナショナル」に参加、小型ビデオカメラで取材・撮影をする。以後、東ティモール独立紛争、米国同時多発テロ事件後のアフガニスタンなどを取材。ドキュメンタリー映画の監督作品に『Little Birds イラク 戦火の家族たち』(2005年)、『311』(共同監督、2011年)がある。

【聞き手・構成】

金子遊(かねこ・ゆう)
neoneo編集委員。映像作家・批評家。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」4号が12月刊行予定。二大特集「テレビ・ドキュメンタリーの60年」「生誕130年ロバート・フラハティ」です。よろしくお願いします。