大学の空洞化
そしてこの傾向が、大学闘争にも同時に現れてくるのです。それまでは「学問の自由」という意味での学問の独立があったのですが、それを何とかして、今はもう見事に無残としか見えないと思いますけれども、全部、産業とか経済の側の必要性に学問の側が従属されてしまう事になってきています。そういう状態が作られていくのが、1960年を過ぎた直後、ちょうど65年ぐらいからあるわけです。
そのような社会状況の中で、高崎経済大学の闘争があった。この闘いの後半戦をフィルムで記録したものが、『圧殺の森』なのです。これは高崎経済大でだけではなくて、例えば国際基督教大学(ICU)であったり、早稲田大学の学館闘争であったり、明治大学であったり、あちこちにあったわけですね。それはどういうことかというと、日本の資本主義経済の、いわゆるブルジョワジー―僕はあんまり好きじゃない言葉ですけど―と言われている部分が、学問も含めて市民生活を支配していこうとする、ちょうどその時期だろうと思うんですよね。
それが65年です。その中で、学生たちは資本の側のイデオロギーがじわじわと浸透し、ブルジョアイデオローグの象徴、フェティシュな思想に支配されつつある社会からだんだん孤立していく。孤立していく中で、学館闘争という形で、自治会の権利と自治の聖域を守る闘いに現れてきます。ということが67年の高崎経済大学です。この闘いの真相は、『圧殺の森』が世に出るまでは学生の間でもほとんど知られていませんでした。
1968年
この翌年、1968年になりますと、高崎経済大学(以下、高経大)の構内の一角、学生会館に押し込められた学生たちのうめきが狼煙みたいになって、東大闘争を含めて先進的な学生の運動があちこちで爆発し始めていきます。ちょうど68年の5月にパリでカルチェラタンの大きな闘争が起こって、学生たちの闘争がどんどん拡がっていく。同時にアメリカでも同じような形でカリフォルニア大学バークレー分校での学園闘争やブラックパンサーなんかの動き、抑圧されてきた黒人労働者などの動きが出てくる。イギリスでは、芸術的な形をとって「怒れる若者達」と言われている人たちが、先鋭的な若者たちの主張をもって登場してくる。共産圏でもソ連体制への反逆の狼煙がチェコで、ハンガリーで燃えている。というような形で全世界的に若者の力、現代の社会に異議申し立てをすると同時に、自由を求めていくという物凄いエネルギッシュな運動が全世界的に起こるわけですね。そういう潮流の中で東大の闘争があり、京大の闘争があるという形で、日大や広島大学から大阪市立大学など、日本各地の大学で沸沸と起こるわけです。
ところが69年の頭に東大闘争を壊滅させる、それも大学当局が機動隊を全面的に学内に導入して、学内を占拠して時計台に篭った学生たちを壊滅させてしまう。大学の自治は、時の政治権力に完全に屈服してしまうのです。これら一連の闘争の最後が京大闘争です。そういう意味で京大闘争というのは、『パルチザン前史』に出てくるような形での、ある爛熟した、と言ったらおかしいかもしれないけれど、ある拡がりとある余裕を持ちながら進められる、学生の側が闘いをリードしていける、社会に向けて撃って出るという意味で、最後の出方をする。社会に撃って出るという意味での京大闘争=『パルチザン前史』があるわけです。.
というわけで、両者を見ていきますと、高経大の『圧殺の森』というのは、閉じ込められ社会から疎外され孤立させられた学生たちに、退学から刑事事件としての起訴という形で、権力は学生を社会から抹殺していこうとしていきます。学生たちは学校の建物の一隅、学生会館の中にだんだん閉じ篭っていくしか方法が無くなっていくわけです。学生たちの怒りとエネルギーは、学生会館の内部に渦巻くわけです。そして、人間としての尊厳をかけた最後の闘いに挑んでいく、というわけです。人間として最後の証し、選択性を持ったものすごいリゴリズム、ある精神的な姿勢の表明、精神の高揚を持ちながら闘争に立ち上がっていくのです。
彼らは固い絆を作りながら、最後はある共同体的な形での結びつき方をしようとしていきますけど、これはうまくいったかどうかは分かりません。映画はそこまで見届けられませんでした。その中で、ある人間の強さというか、精神の強さを持続しなければならない、という人間の闘い方を持っていったんです。
ところが、ちょうどその2年後の京大闘争においては、闘い方にも精神的にも、ある種の余裕が出てくる。それが本当にうまくいったかどうか、この映画の中でも漫画チックだ漫画チックだと言いながらも、自らコミットし撃って出て行く人が沢山いるわけですね。そういう形でのある余裕というか、運動の爛熟さ、それは同時に運動の崩壊に、一歩一歩近づいてくわけですが。
最後の学園闘争、京大での闘いが壊滅させられたその年、69年の10月の段階で学生運動は、『パルチザン前史』に出てくる、大阪市立大学での時計台に篭った4人の若者たちの悲壮な闘いに見られるように、ほぼ瀕死の状態。機動隊に守られた国会議事堂とかが映画の中に写されていくわけですけれども、運動の壊滅が暗示されていく。自由を合言葉に、自分の考え方に従って自分を律していく。自分の生活を築き上げていくという意味での「自由」という動きや志向というものが、次々と弾圧されていく。圧殺されていく。これはまさに広範な圧殺だと思いますけれども。
『圧殺の森』の精神性
『圧殺の森』と『パルチザン前史』二つを見比べてみますと、求心的なもの、精神性という意味では、『圧殺の森』は、今私たちが失ってしまっているかもしれない精神の自由に対する渇望、物質的にはかなり裕福になってきているかもしれないけれども、逆に物に支配されてしまった世界の中で自立への精神的あがきというか、自立した自由への憧れが、非常にいらだたしいほど正直に表現されているなと、僕なんかは思うわけです。
それはやっぱり僕なんかは、小川紳介さんなんかもそうだったかと思いますけど、彼らの闘いを撮る渦中で、自分の抑圧されている自由、自分の疎外されている部分、そういうものを学生に仮託しながら、学生の中から引っ張り出しながら表現させていくという形になっていったと思います。