記録映画における真実
小川はほんとに、まあ皆さんも彼の談話集など読んだりしていると思いますけども、彼は話術の名人で、あらゆる人の興味を引きこみながら、人々を煙に巻き込んでしまうわけですけども、彼は体質的には若いときからずっと持っている、どちらかというと実感主義的な人間なんです、初めからもう実感主義。映画の人っていうのはどちらかというと自分の感じ方を大事にする実感主義の人が多いわけですけれども、小川は自分が経験した事実、事実が起こったとき自分がどういうふうにそれと向き合い何をどう感じたか、それを非常に大事にしていく男です。彼はその実感主義を幾重にも積み重ねていったとき、俺の真実、俺の見た事実はこうなんだと….
一方、土本は階級的ということを認識の根本に据えようとする。だから社会的、客観的な真実ということを大切にする。どちらがいいということはないわけです。世界の存在の在り様が、個の、私の視点の在り様とどれほど緊密に切り結んでいるのか、ひとえにその認識の深さの問題に関わっているわけですから。多分、両方の間を揺れ動く必要があると思うんです。今、特に、90年代に入ってからフィルムのつくり方というか、いわゆる記録映画といわれているものの作り方というのが、どんどん個の世界に入ってきています。
自分のプライベートな関係とか自分の内部とか、そういういうものを洗いながら、個的世界を表現しよう、そういうものが非常に多くなってきているようです。特に記録映画の世界で、自分の中の真実、事実、感情、自分の精神的なテンションも含めて、自分の真実ですよね。それをどのように表現するか、探し出していくか、個の世界に、私だけの世界に、今こだわり始めているようです。.
だから、自分の外部で物事が起こってるっていうんじゃなくて、それと自分とがどう関わっているのかと、その関わり方をどう表現することができるかと。そういうかたちで、ある自分の中の事実、真実というか、そういうものの分野にどんどんどんどん入りこむ。これが、小川が亡くなる数年前から提出していた問題でもあると思いますけど。そういう意味では、小川が残したものはフィルムの中に定着された小川の認識と感覚の痕跡だけなんです。ドキュメンタリーとフィクションていう分け方をするのではなくて、両者が融合していったフイルム、俺の映画だという表現、これを追っていくと、割合プライベートフィルムに近いところに入っていくだろうと思います。.
同時に、土本の追及しているもの、今自分がおかれている状況はどのような状況かそれを常に見据えながら、社会と自分との関わり合い、それは環境を通してだったり階級という概念を通してだったり、世界と自分との対峙と関わり合い、大きくいえばね、その接点が一体どこにあるのか、どのような形で自分は、人間は、世界の状況の中に繰り込まれているのかと、自分なりに考え続けるという土本の方法。…個の固有の認識を声高にフィルムで記述する小川の方法、人間とそれを取り囲む世界、人間と状況との係わり合いを客観視する土本の方法。大きくいうと2つに分かれていくんじゃないかと。そしていつでもクロスしていくだろうし、実際、人はその中でクロスしていくだろうし揺れ動いていくだろうと思うんです。
『チョムスキー9.11』
最近僕は『チョムスキー9.11』(監督:ジャン・ユンカーマン、2003年)という映画を撮りました。一昨年(2001年)の9.11以後テロの問題の大合唱が起こる。で、その大合唱の指揮をとる形で、ブッシュを頂点とするアメリカの官僚体制、政治権力の集団ですよね、これが、言うところの国際主義、インターナショナリズムを帝国主義的に―資本の都合のいいように変質させたグローバリズムということになると思いますけども、悪しきグローバリズムがアラブ世界に、イラクにアフガニスタンに、パレスチナに、中南米に押しつけられて、今世界が軋み続けているわけです。.
これは単にアメリカが悪いということじゃなくて、あれだけの力をもった国が歴史上に登場すると、そこで必ず力をもって他国を支配しようとする、これは歴史的事実だと思うんです、これは別にブッシュだけのことじゃないです。たまたまブッシュという愚か者が帝国という傲慢な装置を振り回して、我が物顔で暴れまわっている。そういう意味で、非常に危険な状態―人間の存亡が問われる状態で、あまり眠り込んでもいられないだろうなあという時期だと思うし、特に若い人たちの危機意識の現れというか、動きをみていると今は非常に危険な状態で、なんとかしたいんだけど何から手をつけたらいいのか、何をしていいのか分からない。そんな苛立たしさを表現する力そのものも削がされちゃっている。表明する手段も削がれている。全く腹立たしい状態に放りだされています。
僕は『チョムスキー』をやるとき、1人の人間として今の状況にどうやったら立ち向かうことができるか、いわゆる政治的な力をバックにするとかそういうことではなくて、個として一体何ができるんだろうかと、そんな焦燥感を持って『チョムスキー』をやったわけです。まあそういう形で、プライベートな関心を追いながら、自分て一体なんだろうとか、自分を取り巻いている世界、そしてその中にいる自分とは一体なんだろうとかいうことを突き詰めていくと、そこに何か新しい表現の方法みたいなものが、どっかで見つかってくるっていうか、出てくるんじゃないかなあと、そんなふうに漠然と思っているところです。
第2部 対談篇に続く(近日掲載)
【プロフィール】
大津幸四郎 Otsu Koshiro
1934年、静岡県生まれ。キャメラマン。静岡大学文理学部卒。1958年に岩波映画製作所に入社。5年間撮影助手としてつとめるが、PR映画に限界を感じ退社。以後、フリーランスのキャメラマンとして独立。同時期に岩波を退社した小川紳介監督の『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』(67)『日本解放戦線・三里塚の夏』(68)、土本典昭監督の『パルチザン前史』(69)『水俣 患者さんとその世界』(71)の撮影を担当。被写体に皮膚感覚で迫る柔軟なキャメラワークで注目を浴び、日本映画界の最前衛に立つキャメラマンとしての評価を固めた。劇映画にも進出、黒木和雄監督『泪橋』(83)、沖島勲監督『出張』(89)などの作品を残す。90年代以降は積極的に若手映画作家と組み、佐藤真、ジャン・ユンカーマン、熊谷博子などの作品を撮影した。2005年に自ら撮影・構成した作品『大野一雄ひとりごとのように』を発表。2014年11月28日午前0時9分、肺がんのため逝去。
【映画情報】
『圧殺の森 高崎経済大学闘争の記録』
(1967年/16ミリ/白黒/105分)
製作:記録映画「圧殺の森」製作実行委員会+自主上映組織の会
演出:小川紳介、撮影:大津幸四郎、録音:久保田幸雄
『パルチザン前史』
(1969年/16ミリ/白黒/120分)
製作:小川プロダクション
製作:市山隆次、小林秀子 演出:土本典昭、撮影:大津幸四郎、一之瀬正史、
録音:久保田幸雄 編集:土本典昭、松本武顕