【特別掲載/追悼 大津幸四郎さん】「対極のドキュメンタリー 小川紳介と土本典昭」オリジナル版第1部・講演篇 text 大津幸四郎 

『パルチザン前史』(69 監督:土本典昭)©特定非営利活動法人 映画美学校

土本典昭の方法―小川紳介との違い

土本さんの場合は、小川さんの映画の方法とは違う思考を持っていたわけで、自分の映画的イメージをあらかじめ決めてしまってこの形でなければだめだというものではなくて、外部で起こっている、彼を取り巻く、すなわちカメラを取り巻く状況の中で、もっと大きな政治的な大状況を考えながら、その状況がより大きな政治的状況、社会的なもの、人間の状況をどのように反映しているのか、それらの物事の持つ意味は、と現象の底に秘められた意味を求めてのたうちまわるのです。そしてそんなショットを積み重ねて、構築することで彼の映画的思考を表現しようとするのです。.

或る時には社会的状況であり、或る時には目の前に存在する人間と状況の闘いであり、その闘いを透して炙り出されて来る人間の存在のドラマであるでしょう。まずカメラの前で展開する人間の生の断片を如実に掴み取り、ひたむきに構築する、その構築の過程の中で、彼の映画的イメージが築き上げられていくのでしよう。そういう意味では、映画的イメージの生成が現実の過程の中で成されていくのであり、それが彼のドキュメンタリー映画の発見の道筋であり、映画そのものを指向することでもあるのでしょう。だからどちらかというと小川さんの場合とは逆とまではいわないけど、ちょっと違う方向性を持ってると思うんですね。

これは僕から見ると、小川さんの場合はドキュメンタリーという狭い枠を越えて映画そのものを考えていく。どうやったら自分の映画に行き着くかということを考える。だから彼はドキュメンタリー映画という言葉をあまり好んで使っていないのではないでしょうか。記録映画とかね。あまり使っていないと思います。常に映画とは何かと、俺の映画とは何かと、彼にとって面白い映画とは何かと、「映画」という表現に固執している。これはフィクションもドキュメントもないというか、ここからがドキュメントで、ここからがフィクションだという区分けをほとんど彼はしないわけですよね。その中で自分の映画的イメージをつくる。これは小川の後期に顕著に現れる傾向です。


記録性の重視

で、土本氏は、特に「水俣」以後顕著になるのですが、「記録」ということを非常に大事にしていくようになる。「資料」ということを非常に大事にする。歴史的な記録とか、証言性ってなんだろうということをいつも考えていく。全的記録を収集する、それはどうしたらできるのか、記録の社会性、記録の指し示す世界、記録を解読しようとする人間を、何よりも記録を収集しようと血眼になっている人間たちに、どんな世界が開かれるのかを見極めようとする。で、トータルのフィルムの中で、記録性がどういうふうに残っていくかということを常に考えている。これは外側の状況を見ながら、自分が見ている画と自分の映画的イメージと擦り合わせながら、記録的出来事の意味や、今我々はどこにいるのか、そこのところの状況とその意味をずっと探っていくわけ。

で、その中で今起こっていることがどんな意味があるのか、どういうふうにフィルムに撮られようとしているのか、そのフィルムを編集するって一体何なのか、その中で、編集することによって、フィルムに定着するということが、撮影以前ないしは、撮影現場にいた自分の感じですね、その時持ったイメージとどれだけ変わって来たか、駄目なのかいいのかも含めてどういうふうに違ってきたのか、編集台の上で何か新しい発見があったのか、そんなことを考えていくわけです。

だからある部分においては、撮影現場でフィルムに定着しながら物事が見えてくる過程と、編集する段階で物事が見えてくる過程では、ものの見え方が異なってくる。以前に断定的に持っていたイメージから自由になっていく、あらかじめ抱いていた予見的イメージが壊される過程で、自分が持っていた固定観念から自由になっていく。或る時は飛躍したり、或る時は撮影以前に抱いていたイメージやものの見方から自由になっていくわけです。

目の前で生起した、フィルムに撮影されたものをじっと見ていくと、ひょっとすると別の状況が浮び上がってくるか、もうひとつの映画という方法で浮かび上がる真実―真実という言葉については後で話したいと思いますが―彼にとっての映画的真実、彼の映画の中でしか見えてこない真実、フィルムを透して彼に見えてきた真実。彼が遭遇した状況的な真実というものが、どういうふうに、あらかじめ抱いていた予感と全く違う形で、浮かび上がってくることもあるわけです。そこでは、フィルムをまとめていく時、映画的な状況―彼に見えてきた真実―がもう一回改めて違った形で浮かび上がってくる。どういうような状況が浮かび上がってくるんだろうか、ということを彼はずっと探求していると思うんです。それが、彼の映画を発見する旅なのでしょう。.

土本氏の映画は、認識の軌跡を描いていると言えるかもしれません。彼は撮影の行為を透してキャメラを取り巻く状況に存在本来の姿を求めて、アメーバ―のように触手を延ばし、それらをフィルムに取り込むことで、彼自身や制作スタッフの認識を変えていくのです。そして編集の過程では、彼はよく言っていたように、「撮影の順序に従って繋いでみる。そうすると撮影時のスタッフの見方が見えてくる」。それの見方をどう変えるか、又は変えないで撮影の過程で見えてきたものをそのまま頂くか、それが編集の過程だと。そこのところですね、二人の違いというのはね。

 

映画的真実とは何か

 先刻、映画的な意味での真実ということを、ちょっと言いかけたから補足しておきますと、1950年代から60年代の頃、65、6年ぐらいまででしょうか、事実とか真実というものはどっかに転がっているんだと、現に存在しているのだと、我々の外部に絶対的にあるものだと思われていたのです。唯一の真実が神のような存在としてあるわけです。発光体を持っている。その真実というのは大きく分けて2つ。権力的体制、いわゆる表面を覆っている社会の常識的真実の態様と、それから、階級的という表現をしていいかどうかわかりませんけども、生きている人間の内部に陰息している、社会からはみ出してしまった少数派の真実。常識的真実と丁度背中合わせに存在している裏側の真実、全然違う二つの真実があると、その真実を追究していって普通の真理に到達できるかということを一生懸命探るわけですよね。だから、どこかに真実が裸で転がっているという形で、存在する真の姿を映画的に表現するためにはどうしたらいいかというふうに探るわけです。

 ところが真実は、生きてる人、まあ100人いるとすれば、100通りの真実があるわけで、真実は見る人によって微妙にずれを起こしていくわけで、そのことにほんとは早くに気づかなくちゃいけないんだけど、なかなかそこに行き着かない。真実、それは固定観念の中であぐらをかいているわけです。ところが小川はそれをどっかで破っていったのです。自分の真実はこれなんだということを探りだしていった。それは彼の物の見方を引きずった真実なのです。それに到達するまでには非常に長い時間がかかったと思いますけど、探り出していって、俺の真実というか、俺の見た存在の真の姿はこれなんだ、俺の映画的イメージはこれなんだと。それがいいかどうかというのは別の問題です、評価の問題は別の問題です。でもそれを探りだしていった、いうのが小川氏です。

ところが、土本氏の方はどちらかというと最後まで、そういう意味でおいては揺れ動いていると思います。彼は普遍的真理を目指しながら、依然として階級という表現にこだわっています。彼のいう階級というのは、どっかではひどく人間くさいといってもいいかもしんないが、いわゆる労働者階級、資本階級というように割りきった階級ではなく階層に近いかもしれないが、ゆるい意味での階級という概念を根底にすえた階級的真実ということにこだわっていたのだと思う。そのために俺の真実はこれなんだと、と言うところの間際まではきているんだけども、言いきってはいない。

小川は小川の見た真を、それが幻かもしれないと思いながらも、これが俺の映画的真実だと賑々しく供するが、土本は自らの到った真を密かに真実の祭壇に供している、普遍的真実の神の存在を気遣いながら。そんな違いかもしれない。小川は賑やかに言いつのることで映画の枠を壊してしまうかもしれないが、土本はこれまでの映画の枠の延長線の上に彼の映画を置こうとしているのかもしれない。だから、その辺のことがどうも2人の生き方、ものの掴み方の違いがあるんじゃないかなと僕は思っています。

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