【ドキュメンタリストの眼⑫】追悼・小泉修吉(記録映画作家、グループ現代)text 金子遊

 

『老いる―5人の記録』

――77年と78年に再び佐久郡で撮影し、監督作『老いる―5人の記録』を79年に完成しています。

小泉 その前に、農村地域の福祉問題をテーマに映画を撮って欲しいという仕事の依頼がありました。70年代後半になると、農村も高度経済成長の影響を受け、大きく変貌していました。それと同時に、過疎化がはじまり、老人が農村に孤立して暮らすという問題が都会に先がけて出てきていた。そこで、佐久総合病院と教育映画配給社と相談し、農村の老人福祉の社会教育映画を作ることにしたわけです。そのときに、30代から40代の東京から来たスタッフが、農村でひっそりと暮らす様々な老人たちに出会うわけです。社会教育映画の方は、事前に脚本を書いて会社から資金してもらい、農村では老人たちが困っているから福祉を進めないといけないという主旨で作るのですが、実際の老人たちはもっとふてぶてしくてヴァイタリティがあり、「老いを生きる」したたかさを持っているように見えました。社会教育映画の枠をはみ出てしまう要素が随分とありました。そこでスタッフ4人で行き、農村の老人たちの日常性をとことん追求してみよう、カメラの前で起きていることを克明に撮っていき、自分たちの映画作品を作ろうということになりました。

――元下駄職人で365日エビフライを食べて、日本酒を飲んで歌をうたう渡辺夫婦。戦後の開拓で入ってきて独りで田舎暮らしをしている清水さん。寝たきりだけど底抜けに明るくて、嫁に介護してもらい、タバコ好きな八巻さん。教育映画の枠からははみ出てしまいそうな、癖の強い老人ばかりですね。

小泉 老人たちの生のあり方をとにかく記録しよう、というところから始めました。狙いは、偶然そのときに出会った老人の生活の断片を記録していくこと。各セクションに字幕だけで老人たちの名前だけ入れて、その人たちと過ごした時間の断片の集積を映し出すという、シンプルな構成にしています。それだけで、なぜかおもしろい。その直截的な記録のなかに老いを生きることの深淵がのぞくのではないか、そこに賭けてみたんだともいえます。このような方法的な意識は、編集して仕上げるときにも持続しました。なるべく撮りっぱなしのままに繋いでいき、編集という一つの構成のなかで映像を位置づけることをしないように、撮ったフィルムを全部使い、撮影した順番に繋いでいった。ですから、NGカットはありません。100パーセントとはいえませんが、「撮りっぱなしのものを観客の前に投げ出したもの」になっていると思います。音楽もナレーションもなし、そのときその場で撮った映像と録音した音だけを使いました。

『老いる-5人の記録—』(77)

『自然農 川口由一の世界』

――『自然農 川口由一の世界』は、95年に奈良県の桜井市で撮影し、98年に完成しています。春の田植えの時期から、除草、稲刈り、年明けの産土の神へのお参りまで1年間通って撮ったんですよね。

小泉 林竹二さんの授業シリーズを撮った後、四宮鉄男を中心にして『鳥山先生と子供たちの1ヵ月』(85)など、教育問題を取り上げた作品をいくつか撮りました。東京の中野区立桃園第二小学校の先生だった鳥山敏子さんが、教室で豚を丸一匹、解体してソーセージにして食べる授業をやっていました。そのユニークな授業風景を、グループ現代でいくつかの記録映画にしたんです。それで鳥山敏子さんと非常に親しくなった。鳥山さんがすでに川口由一さんを知っていて、是非会ってほしいと言われて、僕とカメラマンの堀田泰寛とで会いにいった。そういうわけで、『自然農 川口由一の世界』は鳥山敏子さんとの共同自主制作という形をとっています。

事前台本はなく編集作業はやりましたが、現場での僕の演出よりも川口由一さんと鳥山敏子さんが、田んぼで交わしていく会話ややり取りが、映画の力になっていると思います。桜井市の自宅に川口さんを訪ねると、ちょうど田んぼへ出かけるところで、それについて行って撮影をする。映画を見ていると田舎に見えますが、実は川口さんの田畑がある場所は、のどかな田園地帯ではない。近くに国道169号線が通っていて、JR奈良桜井線も走っている。ところが、一歩カメラを持って田んぼに足を踏み込むと、不思議なことにそれらの騒音が消えてしまう。その代わり、川口さんが稲穂を手でなぜる音、何かの虫か小動物が水にはねる音、野鳥が田んぼの中の巣にひそかに戻る音などが聞こえてきます。そのような空間を作るということが、川口さんの無農薬無肥料の自然農の本質なんですね。

――この映画は『農薬禍』と対になっていると思いました。なぜなら、川口さんが自然農をはじめたきっかけが、農薬で体を壊したことだと話す場面があるからです。また、限られた田んぼの空間に昆虫がいて、微生物がいて、植物があるという宇宙が入っている。あれは、レイチェル・カーソンの世界とも繋がっています。

小泉 『自然農』を撮るために川口さんの田んぼに初めていったとき、僕はそこの土を見たんです。長年農村でドキュメンタリーを制作していたので、土に関心がいくんですね。意図的に演出したわけではないんですが、何となく土を口のなかに含んでいました。そうすると、「ここの土はいいから、いくら食べても大丈夫ですよ」と川口さんは笑って言った。それで川口さんに一発で信用されたんです。田んぼの畦に腰を下ろして、田んぼの草花や虫を眺めていると、僕たちの心も体もその一部である自然の営みに包まれます。自然農の田んぼは、1つのミクロコスモスとして成立している。この映画ではそれを実現した川口さんが実践する自然農の具体的な方法を、詳しく記録して紹介することに努めました。

お婆さんが田んぼを手伝うシーンは撮れましたが、川口さんの子どもたちは恥ずかしがってカメラを向けると逃げちゃった。そういうときは無理に追わないことにしています。そうしたら、お米を刈り取ってみんなで食べるときに、家族が揃ってご飯を鳥山敏子さんと一緒にて食べる光景が撮れました。年が明けて、川口さんたちが産土の神にお参りにいくシーンもそうです。撮影にいったら、これから出かけるから一緒にどうですかと言われた。不思議なもので、記録映画というものは、カメラにちゃんとした構えがあれば向こうから寄ってくるんですね。撮ろう撮ろうとすると、逃げていっちゃう。待っていると、向こうから姿を現わしてくるものなんですね。

『自然農 川口由一の世界』(98)

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