【ドキュメンタリストの眼⑫】追悼・小泉修吉(記録映画作家、グループ現代)text 金子遊

『センス・オブ・ワンダー』(01)

――01年の『センス・オブ・ワンダー』では、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の舞台となったアメリカのメーン州でロケ撮影をしています。翻訳者で評伝作者でもある上遠恵子さんがその土地を訪ねていき、作品の朗読をして、森や自然を描いています。作家としての小泉さんが突きつめてきた「環境破壊」と「自然との共生」の問題において、ついにカーソンまでたどり着いたのだと思いました。

小泉 1年間、春夏秋冬、そしてもう1回春にロケにいきました。カメラマンは堀田泰寛。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』を原作に映画化しようというときに「さて、どうしようか」と思いました。本に書かれていることは素晴らしいのですが、映像的に考えると、それほど珍しいものではない。美しい自然の映像は巷にあふれています。それで、丸ごと1冊の本を読む映画があってもいいじゃないかとひらめいて、朗読映画になったんです。それを翻訳者の上遠さんに読んでもらうことにしまいました。最初、上遠さんは嫌がりましたが、とにかく下見をしようということで、メーン州のレイチェル・カーソンの別荘にカメラマンと録音マンも連れて行きました。彼女も初めていったので、そのときの感銘のままに撮影をはじめちゃいました。映画で映されている草木や花は、ごく普通のありふれたものですが、カーソンが甥とひと夏を過し、『沈黙の春』を書いたのはあの別荘と周辺ですから、どうしてもあの場所で撮らなくてはならなかったんです。

――世の中が便利になるなかで、私たちがその対価として支払っているもの、それは健康被害であるとか公害であるわけですが、小泉さんがそれを一貫して撮ってきたんだなと思います。その作家としてのテーマ性は、意図して選び取ったものだといえますか、それとも出会ってしまい、引き受けたものなのでしょうか。

小泉 それはね、やはり学生運動の反省があるんですよ。60年安保の政治運動をやってきて、それは歴史に残る運動だと思っていたわけですが、後から考えると、あれはやはり近代主義だったんだと思います。日本の新左翼が60年安保ではじまり、最終的には連合赤軍のあさま山荘事件までいってしまう。そのスタート地点に自分がいたという反省です。現実社会における問題に対して、戦後の左翼がとる一定の態度があると思いますが、僕にはそういうものの呪縛から逃れたいということがあった。そのように考えたときに、最初の『農薬禍』で出会ったテーマがあり、そこから今日まで来たということです。

僕には映画を方法論で作りたくないという考えが根底にある。社会的なテーマを取り上げますが、ハッと何かとの出会いがあり、自分の心に響くものがあれば撮っている。テーマを先に決めて撮ろうとは思わない。それと同時に、ドキュメンタリーがフィルムからビデオ撮りに変遷してきましたが、それによって映画が進歩してきたとも考えていません。昔のフィルム時代の時間と資金の制約のなかで作るやり方が好きだし、今あえてその撮り方をするという手もある。古いドキュメンタリー映画を見ると、きちっとした絵作りと構成で作っていて、それもいいなと思います。ビデオカメラで個人や少人数で製作する方法も、それはそれでいいところがある。ビデオカメラでたくさんのフッテージを撮って、それを編集するという方法を僕もフィルム時代にやってきましたから。それぞれの作家が自分の固有のスタイルで作品を作るのがいい、という考え方なんですね。方法論や技術の枠にとらわれないで、その作家に固有の「好み」というのを発見していくのいい、というのが僕のスタイルなんです。

 (2012年5月、東京・新宿の「グループ現代」にて)

■抜粋映像(編集・金子遊)



小泉修吉(こいずみ・しゅうきち)

1933年6月7日神奈川県生まれ。早稲田大学卒業後、1962年記録映画社にはいり、助監督として上野耕三に師事。1965年映像同人「グループ現代」を設立(後に株式会社化、取締役会長に) 、監督した『農薬禍』(67)が大きな話題を呼ぶ。1976年、姫田忠義らと民俗文化映像研究所を設立。『奥会津の木地師』ほか、多数の作品をプロデュース。グループ現代でも「記録・授業―開国」2部作をはじめ、農業・環境・教育問題に関わる作品を数多く製作した。2014年11月12日。81歳で逝去。

【聞き手・構成】

金子遊(かねこ・ゆう)
neoneo編集委員。映像作家・批評家。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」4号がまもなく発売。二大特集「テレビ・ドキュメンタリーの60年」「生誕130年ロバート・フラハティ」です。よろしくお願いします。