【対談】佐々木誠×原一男 『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』に関する、極私的対談


対談:佐々木誠×原一男

『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』に関する、
極私的対談

これまでに『Fragment』(06)、『INNERVISION』(13)、『バリアフリーコミュニケーション 僕たちはセックスしないの?できないの?』(14)など、境界線を意識した作風で常に賛否両論を巻き起こしてきた佐々木誠監督。最新作『マイノリティとセックスに関する、極私的恋愛映画』が、現在UPLINKで好評上映中だ。今回も多くの憶測と賛否が飛び交う中、ユニークかつ巧妙なこの映画と、佐々木誠監督の過去作品を観た原一男監督が「いろいろと聞きたいことやら言いたい事がある」と対談が実現。『さようならCP』(72)から40年間以上が経って、境界線はどう変容したのか――
(取材・構成:加瀬修一 取材協力:佐藤寛朗)

ご注意:映画の核心に触れる内容が一部ございます。ご了承のうえお読みください


40年かかって変わってきたという感じがある

 これまでずっと障害者の問題を追った映画を作ってきたの?

佐々木 初めはそれほど障害者に関心があったわけではなかったんです。

 いや、そんなもんですよ。私だってそうだもんね。たまたまですもんね。

佐々木 たまたまご縁があって、友達になってというところからですね、出発点は。

 あのタイトルバックに出てくる音楽が、『極私的エロス・恋歌1974』の最後でダンスに使っていた音楽と一緒なんだよね。

佐々木 フジテレビのNONFIXでやった『バリアフリーコミュニケーション 僕たちはセックスしないの?できないの?』(14)という作品のことですね。僕、全くそれを忘れていて、今回お会いできるということで久しぶりに『極私的エロス』を見直したら、同じ曲を使っていてびっくりしました。本当に偶然なんです。

 こちらもあらっ! と思ってね。まあ、あれ、お金を払って使っていたわけではないから(笑)。

佐々木 意識はしていなかったんですが、自分の中で潜在的にあったのかも知れません。

 『さようならCP』という映画は見てくれていますよね?

佐々木 もちろん拝見しています。

 あのね、私のほうにも、テレビで障害者のセックスを扱った作品がある、という噂は耳に入っていたんですよ。だけどすぐ見られるわけじゃないから、いつか見れるかなぁなんて思っていたんだけど。放送されたのはいつ?

佐々木 去年です。

 最近だね。信じられないかも知れないけど、私が20代の頃、1960年代の終わりから70年代の初めにかけては、都市の風景の中には障害者の姿が無かったんです。

私は都立光明養護学校で介助員として働いていてね、まだ映画をやろうとは思ってはいなかったんだけど、色々とやってみたいと思っていて、その養護学校の高等部の学生達に「お前らちょっと町に出てみろ」と煽ってね、最寄りの梅ヶ丘駅まで行って、そこから小田急線に乗って終点の新宿まで行って来いっていったの。

彼らは怖がっているわけね、経験がないから。でも「これから長い人生どうやって生きていくんだ?」って説得を続けたら、彼らもやる気になってね。その日、離れて様子を見ていたんです。そうしたら駅員さんはもちろん結構みんな力を貸してくれるんですよ。車椅子を何人かで抱えて階段を上から下まで運んでくれる。これはある程度予想していた通り。そこからが面白いんだけど、電車に乗れたでしょ、すると乗客は車椅子に乗った人を初めて見たんだろうね、場の空気が凍り付いてね。その反応に私の方がびっくりした。

終点の新宿で降りたら、彼らの移動するその周りだけ空気がスーッと凍って行くんですよ。それが衝撃的でね。いろいろ紆余曲折があったんだけれども、障害者を扱ったドキュメンタリーをやると決めたのは、その体験があったからだよね。完成当初『さようならCP』はむちゃくちゃ叩かれたんです。障害者の人たちに対してあなたたちは、なんてひどいことをするんだと、1年ぐらいはどこの上映会にいっても批判された。

佐々木 障害者を見せ物にするなと。

 そうです。一番最初は、駒場の全共闘の学生たちが教室を借りてやってくれたんです。東大生だから、まあ舌鋒鋭いよね。何であんたたちはこんなひどいことをするんだって、もうむちゃくちゃにいわれ続けて、こちらが発言する機会も無くてね。で、1時間ぐらい経って横田弘(『さようならCP』の主人公のひとり)が「発言があります」と言って、「あなたたちの方が間違っている。この映画は、原君が僕たちをいいようにして作ったと思っているだろうけれども、実は違う。原君と僕ら、つまり青い芝の連中(※注1)が、対等に闘って作った映画なんだ」って。

確かに観念的には「闘って」作った映画なんだよ。だけど自慢するわけじゃないけど、ほとんど私がアジっていて、観念的にはCPの連中より先行していたんだよね。それで彼らを口説いて、説得して一緒に映画をやりましょう、となった。要するに障害者がおかれている社会状況とか政治的な文脈の中でどういう意味があるかというのは、彼らは彼らなりに勉強をしていたけれども、こっちの方が早く理解しちゃうわけだよね。その分リアリティのある考え方をこちらが訓練されている。彼らはそういう意味ではほとんど訓練されていないから。だけど、はじまっちゃうと身体を張ってやるのは彼らの方だからね。そうするともう関係として対等にならないと、映画としては面白くならない。そういう意味で対等に作った映画というのは当たっているわけだけれども。

とにかく1年叩かれ続けて、少しずつ障害者と健全者という関係の質みたいなものが変わってきた。大衆の価値観が変わらないとどうにもならないんだということを、少しずつ映画を見た人が気づいていくっていうのかな、障害者の見方が変わってきたのはそこからじゃないですかね。『さようならCP』があって、『養護学校はあかんねん』(79)(※注2)もあって。時代が進んで気がついていくわけだ。階段の段差を無くそうとか、改札の入り口を広くするとか、車椅子を電動で上り下りする機械とか、かなり普及しているよね?何で障害者は映画を観たくても観にいけないんだ、となって、映画館にも車椅子のスペースができる。そういうふうに変わり始めていたわけさ。

で、障害者はなんでセックスしちゃいけないの?って考え方も、少しずつ声として聞こえ始めてきた。あなたがテレビで放送した作品が出てくるまで『さようならCP』から何年経ってるんだい?

佐々木 40年ちょっとです。

 『さようならCP』も、障害者のセックスということを映画の中で描いているんだけど、それがいまテレビの枠の中で扱われるところまで時代が進んだんだなという感じを受けました。40年かかって、変わってきたんだよね。だからそういう思いであなたの映画を見たの。

障害者という肉体を都市という構造が排除している。じゃあそれをどうすればいいのかといった時に、段差を無くすとか、非常に便宜的なものでしょう?本質的に解決しないのに、表面的なテクニックの改善だけでいいのかよって疑問はずっと私にあったわけで、それは今も変わっていない。ただそれでもいろんなレベルで少しずつ変わり始めていって、トータルで本質的なところがいま変わろうとしつつあるのかなという感じはある。

▼Page2  境界線というものは、実はそう簡単に浮き彫りにできない につづく


原一男『さようならCP』(72)©疾走プロダクション



注1:脳性麻痺者の交流や社会への問題提起などを目的として組織された障害者団体「青い芝の会」を指す。
注2:『養護学校はあかんねん』―1979年公開。企画・制作は市山隆次(『パルチザン前史』ほか)。養護学校義務化を阻止しようと文部省前に集まった障害者を中心とする人たちの6日間を捉えた記録映画。