佐藤さんを撮る、ということ
——では、『息の跡』の話に戻します。佐藤貞一さんを撮り始める時は、あらためて撮影のお願いをする感じだったのでしょうか。
小森 お願いしますと言ったと思いますが、佐藤さんはそれが何のための撮影なのか、あまり気にされていなかったと思います。「ふうん、お好きにどうぞ」みたいな感じで、ある日を境にすっとカメラが回りだした感じです。
——佐藤さんの、ある種芝居がかった話し方は、カメラが回らなくても同じだった、ということですか。
小森 そうですね。だから最初から放っておかれましたし、それが逆にありがたかったですね。無理に話してくれる感じだったら私も気を使ってしまいますが、しゃべる時はしゃべるし、そうでない時は作業をしている。その状態で撮ることを許してくれたので、わたしも撮りたい時に撮影をさせてもらえました。
——撮っていくうちに佐藤さんの接し方が変わった部分とか、小森さんの方で撮りたいものが変化していった部分はありますか。
小森 私からこういうものを撮りたい、というリクエストはしなかったので、続けて撮っていると「なんだ、また撮っているのか」とか「カメラがあると仕事ができないよ」とか言われたこともありました。しかし、拒まれたことはありません。明日撮りにいってもいいですか、と言うと「また来るのか!」と言われつつ、でも受け入れてくれました。
そのうち佐藤さんのほうから「明日こんな人が来るよ」とか「最近白鳥にえさをやっているんだ」みたいな情報をぽろっと言うようになって、それって撮りに来ていいってことなのかな、と思って。そういう合図を感じることが嬉しかったし、呼んでもらえたものは全部撮ろうとカメラを回していました。
佐藤さんが店の外に連れていってくれるようになったのが、ひとつの変化だったと思います。撮影をはじめて1年経った頃でしょうか。それまでずっと山の作業も見に行きたいです、と言っても、「朝早いから来なくていい」と言われていたのが、ある日突然「じゃあ行ってみるか」と連れて行ってくれました。そしておばあちゃんと一緒に作業するシーンに出会えたのです。年輪の話も、実は佐藤さんはすでに測っているんですよね。他の木でも全部実証済みだったものを、あえてカメラの前でやってくれたんです。
——ある種、小森さんと佐藤さんの、互いの「記録」の共犯関係ができてきたのかと。
小森 そうだったらいいなと思います。佐藤さんに聞いたら「違う」と言うかもですけど(笑)。
——佐藤さんの語りは、いろいろな発見に満ちているように思えました。撮影中は、佐藤さんのお話をどのように受け止めていたのですか。
小森 お店にいる時は撮影していない時間の方がよっぽど長かったのですが、撮ってても撮ってなくても、佐藤さんが今考えていることを聞かせてもらうのが楽しくて仕方なかったです。わたしが質問して聞き出すことはなくて、会いに行けば佐藤さんは日々発見したことを話してくれました。ここで聞かせてもらっている話をどういうタイミングでカメラを出せば撮れるんだろう、と考えてました。とはいっても、同じ話を何度もしてくれることもあったので、いつかそのタイミングでカメラが回っていることもあるだろう、くらいの考えしかなかったのも事実です。行くたびに、お店の内装も、文章も更新されていて、撮りたいものも毎日増えているから、じゃあ今日はこれを撮るか、みたいな。今ここにあるものを撮ることしかわたしにはできなかったですね。
——映像をよくみると、そういう“アップデート”がみえてきますよね。
小森 何でも自分で作っちゃうから、すごいなと思うんですけど……例えば、井戸を手で掘るとか、大変じゃないですか。だけどご本人は「毎日3センチぐらいづつ3ヵ月やっていたら、井戸になったんだよ」と平然としている。無理をしてすごいことをしようするのではなく、芽を育てるのと一緒で、本当にコツコツとやるんです。文章も毎日ちょっとづつ増えているんですよ。
そういう地道さというか、朝から夜まで流れているお店の時間に、毎日同じものが訪れることが大事なんだなと思いました。私がこのお店を撮りたいと思ったのは、ここに流れる“日常の時間”に出会ったからだろうと思いますね。佐藤さんは、例えば海外に英語で震災の話をしにいったり、たくさんの人を前に話す機会もありましたが、そこを撮りたいのではなくて、佐藤さんがたね屋で芽を育てるのと同じようなスピードで、この場所で一緒に育っていくものを見たかったんだと思います。
——その時間というのは、何年ぐらい続いたのですか。
小森 そんなに長くないですよ。2014年いっぱいで撮り終えて、2015年の3月に大学院の修了制作展で発表しているので、映画の原型はこの時点でできあがっていますね。
修了制作展の時も、そこで終わるつもりは無くて。とりあえず私個人の名義で作品として出せるものは他になかったんですね。実はもうひとかた、佐藤さんと並行して撮っていた方もいるのですが、お二人を並べて編集するよりは、それぞれの表現というか、生き方をそれぞれにまとめたほうが良いと気づいて、編集しながら佐藤さんだけの記録になっていったんです。
『息の跡』より©2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA
▼page3 編集で“人にみせる映画”にする