【Interview】街とともにある「たね屋さん」の記録〜『息の跡』小森はるか監督

『息の跡』より©2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

編集で“人にみせる映画”にする

——この映画のもうひとつポイントは、編集かもしれません。今回の『息の跡』は、以前上映されたものとは異なる形になっています。編集の時、大切にしたかったものは、なんですか。

小森 最初は作品というより「記録」という意識しかなくて、自分で素材を見返すためにも編集しておきたかったし、多くの人に見せることを想定して編集を始めたわけではありませんでした。個人的な家族のアルバムを形にしておく感覚と似ているかもしれません。しかし、2015年10月に山形国際ドキュメンタリー映画祭ではじめて上映されて、映画として評価していただいた時の反応に、正直びっくりしたんです。

幸いにして、良い評価で受け止めていただいた方も多かったんですが、孤高な存在として佐藤さんが描かれているようにみえるところが、作者の意図的な構成だと思われていたんですね。でもそれは、わたしが佐藤さんの一部分しか撮れなかっただけであって、事実とは違うし、このまま映画として人に見せるのはよくないんじゃないかと思ったんです。

佐藤さんが話をしているのと同じ時に流れている陸前高田の街の時間や、お祭りにしてもそうですけど、私は全部関係あるものだと思ったし、直接はつながっていなくても、それらが同じ街の中の出来事である、という要素も再編集で入れたかったのです。

——それは、ことばで言うと、何の記録なんでしょうか。

小森 なんでしょう……でも街と佐藤さんの日常の記録は絶対に切り離せないと思いました。佐藤さんの行動は、一人でお店の中でされていることがほとんどですが、直接ではなくても街に対しての奉仕だとも思うんですね。英語で記録を書いている理由のひとつは、正直なことを直接日本語で書いてしまうと、傷つけてしまう人がいるからという配慮もあるからだと私は考えますし、失ったものに対する、佐藤さんなりの思いの現れでもあるんです。佐藤さん個人が失ったものだけではなくて、この街や三陸全般かもしれない。あの本は、佐藤さんが自分のために書いている部分もあるけど、それだけではなくて地震で何かを失った人として、その一人として書き残している記録でもあると思います。それも作品の中に反映できたらと、あの風景と佐藤さんがどこかで繋がるようなかたちで編集したいと思いました。

——人に見せる「映画」にする作業は、小森さんの中では難しかったですか。

小森 難しかったです。作品を自分の手から離す経験が無かったから、どういう形をなしていればこの作品が在れるのか。ひとつ心掛けた事といえば、映っていないものも伝わるようにするというか、その映画だけで言い切らないように編集することですかね。

——具体的な印象として覚えているのは、佐藤さんの書いた英語の文章の朗読が、初期の段階に試写で拝見したバージョンでは冒頭にあったのに対し、劇場公開版では映画の最後に変わっていました。

小森 最初の編集では記録という意識だけだったから、佐藤さんはこういう人です、という説明のためにおいていたんですが、最初に英語で手記を書いた理由が語られてしまうと、その先に映る佐藤さんがあの言葉の中で収まってしまうんじゃないかと指摘してくれた人がいました。それに本の中では、一番最後に語られるあとがきの一節だったんです。そういうこともあって、再検討してテキストのシーンの位置を変えました。

その後のこと

——できあがった作品は、佐藤さんはどのように受け止められたと思いますか。

小森 できあがったことに対しては喜んでくれていると思います。しかし、複雑な気持ちで受け止められている部分もあるのではないかとも思います。今は高台の新しい造成地にたね屋さんも移転してあのお店も無いですし、この映画に映っている佐藤さんと今の佐藤さんとは、少し距離があるんだと思います。

——小森さん自身も撮影を終えて、陸前高田を離れられたと聞きました。

小森 今は仙台に住んでいます。撮り終えたからというよりは、映画のラストで出ているかさ上げ工事をみるのが、精神的にしんどかったんですよ。津波の跡の街にいることは意識していましたが、あのような形で再開発が起きるとは、思ってもみなかったんですね。

街がもういちど塗りつぶされて、自分が撮っていたものも塗りつぶされていく。震災前の町の痕跡が残る土地を、映らないものを感じながらもカメラを向けていましたが、その痕跡すら無くなってしまうとは思わなかったので、自分の感情が揺さぶられました。こういう事態を「復興」という言葉で呼んで見えなくさせていることに対する憤りもありましたし、それに対して町の人たちが声高に何かを言えるような状況でもなかったと思います。ですが、佐藤さんは、いつかあの場所か立ち退かなければならないことはわかっていらっしゃいました。

私にとってはショックなことがいっぱい起きましたが、それでもこの場所に関わりたいと思った時に、問題をきちんとみるためにも、距離が必要なんじゃないか、と瀬尾から提案があり、少し離れた仙台という土地に移ることを選びました。仙台には、他にも震災後に活動をしている仲間がいて、小さな組織を作りました。それぞれの技術を持った人たちと東北をまなざす記録や、表現活動を一緒にしていきたいと考えています。

——では今後も、陸前高田の街の撮影を続けていきたいということですか。

小森 高田の街もこれから10年、20年かけてできていくと思うので、撮影を続けていきたいです。形にするべき時がきたら作品を発表していくと思います。映画が最適と思えば映画をつくるし、フィクションを通さないと表に出せない、というのであればフィクションをやるかもしれない。撮っているものは同じかもしれないですけど、アウトプットの仕方は柔軟にしていきたいと思っています。

『息の跡』より©2016 KASAMA FILM+KOMORI HARUKA

【映画情報】
『息の跡』
(2016年/93分/HD)

監督・撮影・編集 小森はるか
編集:秦岳志 整音:川上拓也 特別協力:瀬尾夏美
プロデューサー:長倉徳生 秦岳志
製作:カサマフィルム+小森はるか
配給・宣伝:東風 

全国各地で公開中
最新情報はこちら(公式サイト)でご確認ください。

【監督プロフィール】

小森はるか(こもり・はるか)
1989年静岡県生まれ。映像作家。映画美学校12期フィクション初等科修了。東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院修士課程修了。本編が劇場長編デビュー作。

2011年4月に、ボランティアとして東北沿岸地域を訪れたことをきっかけに、画家で作家の瀬尾夏美と共にアートユニット「小森はるか+瀬尾夏美」での活動を開始。翌2012年、岩手県陸前高田市に拠点を移し、風景と人びとのことばの記録をテーマに制作を続ける。2015年、仙台に拠点を移し、東北で活動する仲間とともに記録を受け渡すための表現をつくる組織「一般社団法人NOOK」を設立。現在は自主企画の展覧会「波のした、土のうえ」、「遠い火|山の終戦」を全国各地に巡回中。