部外者と当事者の関係性を描いた映画でもある
——『波伝谷に生きる人びと』と『願いと揺らぎ』の違いはもうひとつ、『願いと揺らぎ』ではプロデューサー・佐藤裕美さんが付いていることです。作品の完成は、この人が貴方のお尻を叩いてくれたおかげだと聞いていますが。
我妻 はい(笑)。経緯をお話しますと、佐藤さんは元々南三陸にボランティアに入っていた方で、普段から様々な活動で忙しい人なんですけど、2016年3月11日に『波伝谷に生きる人びと』のチャリティ上映会を開いてくれたんです。豊島区との共催で区長の挨拶もある、かなりしっかりした上映会で。
その日の上映中に、震災後に撮った映像は300時間以上あるんだけど編集が全く進んでいないことを話すと、「じゃあ来年の3月11日には新作として上映しましょう」と。僕にとっても3月11日は特別な日だったので、「約束します」と。ただ半分近くは、その場の気持ちに任せたものでした。約束はしたものの、宮城で仲間たちと立ち上げた映画祭〈吉岡宿にしぴりかの映画祭〉の準備などで忙しくて、編集はずっとほったらかしだったんです。
でも10月の初めに映画祭が終わった後、そのことが思い出されて、(どうしようかな……)と考えながら家に帰ると、ちょうどそのタイミングでメールが入っていて。「会場を押さえました。区長の挨拶もあります」と(笑)。
——先に会場を決めちゃう。ある意味、プロデューサーの鑑だ。
我妻 それに、メールを読み進めると、実は夏に難病の宣告を受けたらしく、足が動かなくなって、自分の将来がどうなるか分からないことが書かれてあったんです。
後から本人に聞いた話なんですが、入院した当初は、誰からの励ましの言葉も受け付けられないほど落ち込んだそうです。自分は何度も被災地に通っていたけど、本当に当事者の気持ちに寄り添うことができたのか、布団を引きはがすようなことになっていなかったか、などと、その時にいろんなことを考えたそうです。
先の予定が何も考えられず、自分を見失いそうになったときに、ひとつだけ自然とやりたいと思えたのが、3月11日に約束した上映会だったというんです。
メールではそこまでのことは書いてませんでしたが、何かせずにはいられなかったんだと思います。そのメールがもしも「編集は進んでいますか? 会場を押さえて大丈夫ですか?」といった確認だったら、僕はきっと「やめておきましょう」と消極的な返信をしていた。佐藤さんは、僕にとっても映画にとっても大事な恩人なんです。
——そのやりとりが、さっき聞いた「きっかけ」ですね。
我妻 はい。佐藤さんには、自分で完成と決める前に、映っている人たちの承諾を得なければいけないことはお伝えしました。それから急いで編集し、2ヶ月で幹生さんに見てもらい、1月22日に波伝谷で試写会を開いて、何とか約束の上映会に間に合わせることができました。日時は3月11日ではなく9日になりましたが。
——発酵させた時間と比べると、編集から完成までは短い。
我妻 そこから公開までは、またいろいろあって長くなるんですけど……。
『願いと揺らぎ』は、完成したとしても劇場公開はまず出来ないだろうと考えていたんです。公開の負担はいろんな意味で大き過ぎるので。
だけど、3月の上映会で見てくれた人の反応が良くて、やっぱり何とかしたいなと。それで、それまでのやりとりでこの人は信頼できると思ったから、佐藤さんにプロデューサーになってほしいとお願いしたんです。「一緒に広めてくれませんか」と。そしたら迷わず引き受けてくださいました。大変な状況でも、人のためならがんばれる強さがある人なんです。すごく感謝しています。
——映画はその後、再編集を試みたと聞きましたが?
我妻 僕自身は全く変えるつもりはなかったのですが、親しくしている映画監督数人に再編集を強く勧められたんです。短くしたほうがもっと広まるし、たくさんの人と共有できるものになると。また、監督である僕が入ってくる自我の部分は全て不要だとも言われました。
それで一度、人の手に委ねて2時間以内にまとめることを試みました。結局は、やはり自分の編集で行きたいと思い、もとに戻したのですが……。どう思いますか?
——うん。シェイプアップすることで「お獅子さま」復活に至るプロセスが際立ち、ドキュメンタリーとして完成度が高まるというみなさんの意見はよく分かります。僕も事前に拝見したらそう言ったかもしれない。
一方で、何事にも時間がかかるさまを撮れている、民俗学の調査報告を読むようなところに僕は魅力を感じてしまったしね。
佐藤忠男さんは柳田國男の話をされたそうだけど、僕が『願いと揺らぎ』を見てつながったのは、宮本常一です。それこそ宮本さんが記録した〈村の寄り合い〉をナマで見たぞ、という感動があったんです。
男たちが動きずらくなっているなか、とみ子さんが独自に女性陣の準備を持ち掛けると、観音講(女性の契約講)の場で「OBのとみちゃんの言うことだから」とみんなが同意して動き出す。あのOBとは昔でいう〈隠居〉ですよね。村の生産のサイクルから外れることによって、経験をもとに一種、超法規的に意見を言っていい立場。そういうシステムが波伝谷で機能しているさまが、まさに宮本常一の世界。
だから……難しいな。そういう姿勢で見るならば、貴方が状況に関与するのも報告では欠かせない事態のひとつで、作家の自我という風には感じられない。
我妻 部外者がある地域に入った時、どこまで入り、どこまで関わっていけばいいのか。『願いと揺らぎ』は、その当事者との関係性を描いた映画でもあると思っています。佐藤さんも上映時の挨拶で「寄り添うということがどういうことなのか、一つの形を示してくれる映画」と言ってくれました。地域と関わる多くの人が、ある程度の関係を築くと必ず直面する課題だと思うんですね。そこを大事にしようと思うと、やはり僕の関わり合いもカットするわけにはいかなくなるんです。
——はい。ただ、宴会の席で貴方が酔って泣くところは分からなかった。あれは、不要なんじゃ……。
我妻 あの時は、純粋にもう一度ひとつになろうとする波伝谷の結び付きに感動して……。
震災を経ても変わらないものがここにある。そして、撮り手自身の関わりも変わることなく続いている。それに気付いた時の抑えきれない感動が、なにか、伝わるといいなと思って入れたんですけどね……。だから、あそこも僕の中では絶対に必要なんです(笑)。
【映画情報】
『願いと揺らぎ』
(2017年/日本/HD/カラー・モノクロ/16:9/147分)
監督 ・撮影・編集:我妻和樹
プロデューサー: 佐藤裕美
公式サイト→https://negaitoyuragi.wixsite.com/peacetree
2018年2月24日より ポレポレ東中野ほか 全国順次公開
ポレポレ東中野上映では連日ゲストトークあり
詳しくは公式サイトをご参照下さい。
【監督プロフィール】
我妻和樹(あがつま・かずき)※公式サイトより
1985年宮城県白石市出身。2004年に東北学院大学文学部史学科に入学。翌2005年3月より、東北歴史博物館と東北学院大学民俗学研究室の共同による宮城県本吉郡南三陸町戸倉地区波伝谷での民俗調査に参加。2008年3月の報告書の完成とともに大学を卒業し、その後個人で波伝谷でのドキュメンタリー映画製作を開始する。
2011年3月11日の東日本大震災時には自身も現地で被災。その後震災までの3年間に撮影した240時間の映像を『波伝谷に生きる人びと』としてまとめ、2014年夏に宮城県沿岸部縦断上映会を開催。その後PFFアワード2014にて日本映画ペンクラブ賞を受賞し、2015年以降全国の映画館にて公開。
現在は長編3作の製作を進める傍ら、みやぎシネマクラドル、吉岡宿にしぴりかの映画祭など、地元宮城の映像文化発展のための取り組みもしている。