【連載】「視線の病」としての認知症 第10回「視線の病」に気づく text 川村雄次 (NHKディレクター)

そんな中で鈴木さんが特に面白がった、小さな場面がある。夕方、ポールが台所で食事の用意をしている時のこと。リビングのソファに腰掛けたクリスティーンが猫を膝に抱きあげ、チュチュチュとあやすような音を立て、やさしく語りかける。「私が名前を呼び間違えても、あなたは来てくれるのね。賢い子ね。」

ロケ現場でも、南波と吉川がこのひと言に反応していた。「私たちも猫のようでありたい」。それを合い言葉に、私たちは毎日ロケを行っていたのだ。

ティアという名の猫

「猫のようでありたい」とはどういうことか?また、そう思う以前の私たちはどういう状態だったのか?私がロケ中に思い出していたのは、クリスティーンが来日時の講演で語った、「認知症と診断されたその日から『認知症の人』になってしまった。」という言葉だった。長年認知症の医療やケアに携わってきた小澤勲さんは、この言葉に強く反応していた。診断されたとたん、名前も個性もない、「認知症患者」というのっぺらぼうの存在として扱われるようになるのだと。そう扱われると人は本当に能面のような顔になってしまう。猫はそういう区別をしない。

クリスティーンが猫に語りかけた「賢い子ね」は、元の英語だと、「such an intelligent pussy cat」で、ただの「お利口さん」というほめ言葉以上のものだった。では、人間に欠けていて猫には備わっている「賢さ(知性)」とは何なのだろうか?私たちは繰り返し話し合った。

まず猫は、クリスティーンに対して「認知症の人」というレッテルを貼り付けない。猫にとって大事なのは、自分をかわいがってくれるかどうかで、その人がどんな病名をつけられているかは問題ではないだろうから。つまり、偏見がない。さらに、猫は自分の名前(ティアという名だった)を呼び間違えられても、人間のように傷ついて大騒ぎしたりせず、自分のことだと分かって、クリスティーンの膝の上に乗る。それは何か?

私は、クリスティーンの来日後に作った番組に出演してもらった認知症医療の先駆者、長谷川和夫医師の言葉を思い出していた。「認知症が進行して、家族の顔や名前が分からなくなっても、自分にとって大切な人だということは最後まで分かる」。クリスティーンの家の猫には、そういう「賢さ」があるようだった。自分にとって大切な人だということが分かる賢さ。私たちは、それこそ本当の「賢さ」であると思った。

私たちはどうすれば猫の賢さに近づけるのか?もちろん猫になれる訳ではないのだが、猫に学ぼうという南波たちの姿勢が、私たちの存在を受け入れやすいものにしたのは確かだろう。

ロケをする間に、クリスティーンとポールと色々なことを話すようになった。とりわけポールは、家事の合間に多くのことを話してくれた。彼は6年前にクリスティーンと出会って恋に落ち、一緒に暮らすようになってから、それまで全く経験がなかった料理をするようになったのだが、得意料理のスパゲッティ・ボロネーズのレシピや、ビーフステーキのおいしい焼き方などを、私に書き取らせた。(鉄板の上に肉を置き、上面に肉汁が上がってきたらひっくり返し、そして反対側に肉汁が上がってきたら食べ頃。)ポールは料理が上手そうに見えなかったが、楽しそうだった。オーストラリア産の瓶ビールをそばに置き、時々上を向いてグイっと飲んで、また料理を続ける。

ポールが繰り返し口にした言葉に、「起きていることが10%。それにどう反応するかが90%」という格言のようなものがあった。クリスティーンが料理出来なくなったとしても、それは10%。「困ったことになった。」と考えるか、「よし料理に挑戦してみよう。」と考えるかで、全く変わってくる。自分は後者を選ぶというのである。

ポールは本当にクリスティーンを愛していたので、クリスティーンでなくても出来ること(例えば料理)は自分が引き受け、クリスティーンには彼女でなければ出来ないことをやってもらいたいと考えていた。それが、執筆や講演という、言語活動だった。クリスティーンが講演を行うようになったのは、そうやって支え励ましてくれるポールと一緒になってからのことだった。

ある日、私はポールに訊いた。「クリスティーンと結婚した時、彼女が今のように変わると思ってましたか?」ポールはまじめな顔でこう答えた。「結婚する時、相手が変わることを期待してはいけないんだ。悪く変わらなくてラッキーだった、と思うべきなんだ。」私は吹き出した。期待していた答えとは全然違ったけれど、離婚経験のある先輩の教訓として、脳に刻み込んだ。

クリスティーンとは、もっと本質的な話をした。彼女は、取材をしながら私たちが何を考えているかを知りたがった。訊かれる度に私はクルーを代表して、片言の英語で話した。クリスティーンは非常に洞察力が働く人なので、私が口にする鍵になる単語や文に反応し、言わんとすることをほぼ理解してしまっているようだった。その一つに、「認知症は脳の病気であると同時に社会の病である」ということがあった。私はポールの言い方を借りて、脳の病気が10%で、残り90%は社会の病なのだと説明した。脳の病気によって引き起こされる不自由さに対して、社会の側の無理解、偏見、差別等が苦しみを付け加え、雪だるま式に大きくなったものが認知症で、ドキュメンタリーはその90%の部分を変える役割を果たせるはずだと。

実は、私がそのように考えるもとになったのは、土本典昭監督の水俣シリーズだった。水俣病は食べ物を通して体にとりこまれた有機水銀が脳や神経をむしばむことによって起きる公害病だが、土本さんの映画は、「脳神経の水俣病」とともに「心の水俣病」を描き、その両方と対決していた。連作の第1作『水俣の子は生きている』(1965年)の最後のナレーションで、「この子らの心まで水俣病にしたくないのです。」と宣言するのである。私は、土本さんの映画作りのそうした姿勢にひかれていた。(土本典昭著『不敗のドキュメンタリー 水俣を撮り続けて』岩波現代文庫 2019年)

私は、認知症にも「脳の認知症」の部分と「心の認知症」の部分とがあると考え始めていた。つまり、「心の認知症」とは、「脳の認知症」に対する社会の反応によって引き起こされる、本来なくてもいいはずのものである。ドキュメンタリーは「脳の病気」に直接介入する術を持たないが、「社会の病」に立ち向かうことは、第一義的な役割である。そのようにして土本さんの水俣での仕事を引き継いでいると思うと、さらに奮い立つような感じもあったのだ。

私のこの考えにクリスティーンは共感を示した。認知症という病気は多くの場合、現在の医学で治すことは出来ないが、それとともにどう生きるかは変えられる。その可能性を示し、押し広げることが、彼女の講演や執筆活動の意義であり、私たちに対する取材協力もその延長上に位置づけられていたのだと思う。

2004年8月、第二次ロケを終えた時、私は、4月に成田空港を旅立った時の自分と、4か月を経て帰ってきた時の自分が、まるで違う自分になっている気がしていた。

いつどこから? 変わり目は、クリスティーン宅でのロケ初日、南波と吉川が言った、「苦しくてならない」「このような目で人を見るのはいやだ」という異議申し立てだった。

何が変わったのか?「視線」である。

私は再び編集室に戻って、鈴木良子さんとラッシュ映像を見ながら、自分の考えをまとめるために取材記を書いた。

<私の取材記「認知症とともに生きる心の旅同行記」より>

私たちは気づいた。クリスティーンの「ありのまま」を見ようとせず、「認知症らしさ」を追い求めた私たちの視線が病んでいた。当初、クリスティーンと一緒にいることに苦痛を覚えたのは、私たちの視線の病のためであって、クリスティーンの病のためではない。彼女は全く何も変わっていないのだから。ただ私たちの見方が変わっただけなのだ。そして、この「視線の病」というものは、見られる人の病の苦しみを大きくするし、見る人自身にも苦しみをもたらすものだということを、知った。

(『扉を開く人 クリスティーン・ブライデン』クリエイツかもがわ 2012年に収録)

「視線の病」とは何か?人に病名のレッテルを貼り、病んだ部分、異常な部分だけに注目する視線である。言い換えれば、人を単なる被写体、モノとして見る視線である。それは、見る人自身を苦しめる。これに対して「猫のように見る」とは、「ありのままに見る」ということである。人を人として見る。顔や名前が分からなくても大切な人であることが分かる、そのような見方をする視線を持とうと思うようになったのだ。

見方が変われば、見え方が変わる。関わり方が変わる。生活や人生が変わる。その変化がめぐりめぐり、つもりつもって、社会が変わる。認知症との出会いを通じて、人が人として扱われ、可能性を発揮出来る社会に近づいていく。私たちは、そんな夢を抱いた。後に「認知症革命」と語る人も現われた。

自分自身の「視線の病」に気づいたこと。この言葉を得たことが、私たちが旅から得た第一の成果だった。ここからすべてが始まっていく。

2014年10月16日、BSドキュメンタリー『クリスティーンとポール 私は私になっていく』(50分)が放送された。放送当日、2冊目の本を書き上げて再来日したクリスティーンは、ポールとともに京都のホテルでこの番組を見ていた。

ロケ終盤のクリスティーンと私たち (撮影 南波友紀子) 

 (つづく。次は8月1日に掲載の予定です。)

【筆者プロフィール】

川村雄次(かわむら・ゆうじ) 
NHKディレクター。主な番組:『16本目の“水俣” 記録映画監督 土本典昭』(1992年)など。認知症については、『クリスティーンとポール 私は私になっていく』(2004年)制作を機に約50本を制作。DVD『認知症ケア』全3巻(2013年、日本ジャーナリスト協会賞 映像部門大賞)は、NHK厚生文化事業団で無料貸出中。