【連載】「視線の病」としての認知症 第17回 社会が動くとき text 川村雄次

連邦議会で開かれた若年認知症サミット。クリスティーンの姿もある。(アルツハイマー病協会提供)

4:認知症を政治課題に

当時、オーストラリアにとって重要だったのは、まず第1に認知症というのは大きな問題だ、と認識することでした。23万人もの認知症の人たちがいたのですから。第2に、それが「社会の問題」とは考えられていなかった、ということです。例えばタクシーに乗って運転手と話をしているとき、私の勤務先を言うと、「私の祖母も認知症だったよ」と言われることがよくありますが、それはあくまでも家庭内のことであって、社会が向き合うべき課題とは考えられていなかったのです。そして第3に、人々がその社会的コストを認識していなかったことです。この国で認知症ケアにどのぐらいのコストがかかってくるかを知らなかったのです。

そこで私たちは2003年に『認知症のエピデミック、その経済的インパクトと前向きな対処法』という報告書を出しました。こうした活動で言葉は重要です。エピデミックというのはとても強い言葉です。経済的インパクトという言葉も強い言葉です。すべての政治家は経済で物事を判断しますから。そして「前向きな対処法」という言葉、「認知症は絶望ではなく、今すぐにできることがあり、明日はさらに意義のあることができる」ということ。「前向きである」ということはとても重要です。それで、この報告書を作成し、2003年5月に提出しました。

このレポートが政界と社会の大きな関心を集め、1年半後の2004年連邦議会の選挙の時、「自分たちが政権に選ばれたら認知症を保健の重要事項に認定する」とハワード首相が公約したのです。そして翌年、公約は守られ、5年間に3億2千万豪ドルの追加支援金が提供されることになったのです。

政治面では幸運も必要でした。共感してくれる政治家が必要です。運が良い時も悪い時もありました。主張に耳を傾けてくれる政治家が現われる時を待つのです。出版し、講演し、メディアや様々な媒体を通じて自らの運を切り開くのです。そして有力な人たちが、いつかは話しを聞いてくれると信じ続けることです。

5:診断後支援に力を注ぐ理由

認知症と歩む旅路は長いものだという前提から私たちは活動しています。その旅は診断が下される前から既に始まっており、多くの人にとって旅の最も過酷な部分は終わりではなく始まりの時期なのです。

私たちは、認知症とはどういうものであるかや、お金やケアについての計画、遺書の作成、そしてどういう最期を迎えたいかなど、早い段階で情報を提供することが重要だと考えています。そうすることにより、認知症とともに歩む旅路に伴うトラウマや困難を減らすことができると考えているからです。それが基本的な考え方です。

認知症とともに生きることは、過酷な状況です。早い段階でサポートしたからといって、その過酷さがなくなることはありません。それでも情報が与えられ、今後どうなっていくのかを知ることは、本人にとっても家族にとっても助けになります。だからオーストラリアでは、早い段階でのサポートに力を注ぐことが重要だと考えられているのです。

認知症の一番の敵は絶望です。そして例えば医師にとっての最悪な事態は治療法がないことです。治療できないのに認知症だと告知することに意味はあるのか?と。意味はたくさんあります。人が自分の人生を設計することは大切なことです。真実を知ることも大切です。自分は何かがおかしいと不安定な気持ちを持ち続けないことが大切です。

<引用以上>

このインタビューを皆さんはどう読まれただろうか?

日本の私たちが「本人の声を聴く」ということで思い浮かべる「やさしさ」など、感情的でウェットなものを感じない、ドライな語りであることに驚かれたのではないだろうか?グレンが語ったのは、感情の言葉ではなく、論理の言葉だった。

彼やアルツハイマー病協会にとって、クリスティーンの語るストーリーは大切な意味のあるものだが、あくまでも「何人かの中の1人」である。ストーリーの内容よりは、クリスティーン以外にもたくさんの当事者がいて、たくさんのストーリーがあるということのほうが重視されるだろう。政治や社会を動かすためには、コストや人数といった「数字」のインパクトを使うことが有効であり、大事なのだ。

私がこの話を聞いて思い浮かべたのは、縦糸と横糸である。クリスティーンを皮切りに声をあげた認知症の当事者たちが語るストーリーの数々の縦糸。そこにグレンが語る、アルツハイマー病協会側から見たストーリーの横糸が重なる。政治や歴史のストーリーという横糸もある。それによって制度が作られ、お金がつく。すると例えば、クリスティーンのように超人的な努力をしなくても、「診断後の人生」の第一歩を踏み出すことが出来るようになる。すると、個人のストーリーという縦糸がおのずと増えていき、横糸がそれを支える。このように縦糸と横糸とが次々に折り重なって、「社会」という名の織物を作っていく。それはのちに「認知症フレンドリー社会」と呼ばれるものであるが、その本体は、1人1人の当事者のストーリーを編み込んだ織物なのだ。

とはいえ、グレンの言うことを額面通りに受け取っていいのだろうか?オーストラリアの政治家は本当に、認知症の人を「患者」ではなく「人」として見ているのだろうか?そこで私たちは、超党派の議員連盟「認知症の友」の共同代表を務めていた、マリース・ペイン上院議員にインタビューを申し入れた。当時45歳の若くはつらつとした女性議員であったが、その後、国防大臣などを経て現在は外務大臣と女性問題担当大臣を兼ねている、有力政治家である。

私は、第一問としてこう尋ねた。

「私がお尋ねしたいのは、言葉の使い方の変化についてです。以前は「認知症患者」というのが普通でしたが、現在では「認知症の人」と言うことが多くなっています。この言葉の変化についてどう感じてますか?」

それは、非常にストレートな「テスト」だった。

上院議員はこう答えた。これも重要な内容なので、いささか長いが、引用する。

<マリース・ペイン上院議員の答え>

それは、さまざまなタイプの認知症を患う人たちへのスティグマや差別を最小限にしようという試みであるといえるでしょう。また、これは、メンタルヘルスの問題をかかえている人や、HIV、エイズに苦しんでいる人々に向けられる同様のスティグマや偏見を無くそうという国際的な試みと共通のものです。つまり、「患者」や「犠牲者」という言葉を使わずに、たとえば「統合失調症のある人」、「認知症のある人」、「HIVのある人」などと、より一般的な意味合いで表現するわけです。この現象は他の多くの保健に関する分野にも共通して見られるもので、「自分は社会のどこに位置づけられるのか」について本人の気持ちを楽にするし、また介護者が、自分たちのしていること、自分たちが助け、世話をしている人たちについて、より抵抗なく考えることを助けます。さらにこれは私見ですが、医療に従事する人たちにとっても、自分たちが行っている治療に自信を持たせ、彼らが世話をしている人々は、「非常に大切にされているんだ」と確信させ、その結果として、「患者」が以前にはしばしば味わわされたスティグマや偏見がもたらす屈辱的な経験を最小限にすることを助けます。

<以上>

完璧な答えだった。そして、やはりドライだった。

グレンの語りも上院議員の語りもドライだが、あたたかさがある。人間を人間として見ようとし、声を声として聴こうとしているのを感じるのである。認知症の人たちと家族の代弁者としてグレンが語る「声」もまた、政治家や世間の人たちになかなか聴いてもらえないのだが、自分たちが言おうとしていることには意味があって、いつか聴かれる時が来ると信じている。聴いてくれない相手を責めるのではなく、インパクトのある数字を示したり、当事者の姿と声の力を借りたり、あの手この手で工夫を重ねて働きかけ、「声が聴かれるとき」を待つのである。自分にも相手にも価値がある。ただお互いにそのことに気づくチャンスに恵まれているかどうかなのだ。そういう世界観や人生観が底にあるのを感じるのである。私はそこに「民主主義」を見たように思った。

番組は、2009年2月、クローズアップ現代『認知症 広がるか“本人が決めるケア”』として放送された。だが、私たちが描いたのは、あくまでも「ケアの変化」であって、「社会の変化」を伝えるには至らなかった。

そして4年後の2013年、「社会がどう変わったのか?」という問いにもう一度取り組もうと考え、クリスティーンに尋ねた。「あなたが声をあげたことで、オーストラリア社会はどう変わったかを撮りにオーストラリアに行きたいと思うが、どう思いますか?」

クリスティーンは答えた。「オーストリアには来なくていい。スコットランドに行きなさい。オーストラリアにあなたがたが見るべきものは何もない。」

一体どういうことか?ともあれ私は上司に説明し、ちょうどロンドンで開催されることになっていた、世界初のG8「認知症サミット」の取材を兼ねて、スコットランドに取材に行くことを許された。

(つづく)

 

【筆者プロフィール】

川村雄次(かわむら・ゆうじ) 
NHKディレクター。主な番組:『16本目の“水俣” 記録映画監督 土本典昭』(1992年)など。認知症については、『クリスティーンとポール 私は私になっていく』(2004年)制作を機に約50本を制作。DVD『認知症ケア』全3巻(2013年、日本ジャーナリスト協会賞 映像部門大賞)は、NHK厚生文化事業団で無料貸出中。