【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 「倫理はドキュメンタリーの必然的課題」6つの眼差しと<倫理マシーン> 阿部・マーク・ノーネスさん インタビュー 聞き手=佐藤寛朗

ヤマガタ・コーディネーターインタビューの第7弾は、今日(10月12日)から始まる、6つの眼差しと<倫理マシーン>と題された、不思議なプログラムのお話です。
コーディネーターの阿部・マーク・ノーネス、ミシガン大学教授は、1988年ハワイ映画祭で小川紳介監督と出会い、小川プロ作品を中心に、日本のドキュメンタリー映画史の研究にのめり込みました。
山形でも1991年「日米映画戦」のコーディネーターをつとめて以来、おなじみの存在ですが、本国アメリカではマイケル・ムーアと原一男の対談を実現させるなど、日米のドキュメンタリー映画を繋ぐ、すぐれた「仕掛け人」でもあります。
今回、ひさびさにヤマガタのコーディネーターを務めるにあたり、彼の提示したお題は「倫理」。
なぜ、この聞き慣れない哲学用語を、プログラムのテーマに持ち出したのでしょうか。
(聞き手・構成 佐藤寛朗)

阿部・マーク・ノーネス教授

阿部・マーク・ノーネスさん

——今回、なぜ「倫理」をテーマにとりあげようと思ったのですか?

マーク ずっと前からやりたかったんですが、最近はコーディネーターとして働いていなかったので(笑)。藤岡朝子さんにいくつかのアイデアを出すなかで、倫理の話しをしました。実は、あらゆるドキュメンタリーを撮る時には、必ず倫理的な問題がつきまとうのです。劇映画と違い、ドキュメンタリーは、現実の世界に生きる生身の人間を相手に動くわけですから、倫理は本来、必ず考えざるを得ない課題のはずです。しかし考えていない監督がけっこういる。自分の作品制作には関係ない、と思っている作家もいる。その理屈がフィクションと言えるかもしれません。

——ところで、なぜ倫理「マシーン」なのですか?

マーク 倫理など関係ない、と考える作家も多いけど、映画はマシーンで作られるでしょう?マシーンで撮影していれば、映画は自動的に、倫理の事が無視できないように作られる、という意味ですよ。あとは、カッコ良いタイトルのほうが良いからね(笑)!

ドキュメンタリー映画の倫理に関して、西洋では監督や学者同士ではよく話題に上がるのですが、アジアでは、これまでほとんど出てこなかった。だから藤岡さんとはすぐ「やりましょう!」という話になりました。彼女が良く知っているアジアの作家たちにも、考えてもらいたいと思ったのでしょう。

———同じく、6つの「眼差し」という言葉は、どこから出てきたのですか?

マーク この「眼差し(gaze)」という概念は、アメリカのドキュメンタリーの理論から出てきたものですが、本来はフェミニズムの流れを汲む考え方です。今回の場合、ビル・ニコルズとヴィヴィアン・ソブチャックという、ふたりの理論で言われていて、観客の為の理論的な用語です。どの映画でも、作家の倫理的なスタンスというのは映画の空間と時間の中に構成されていて、ある「眼差し」をもって分析すれば、作品の中にそのスタンスをみつけられる、ということです。このことは、会場で説明したいと思います。

 ——アジアと日本の作品で見られる倫理の問題についてお聞きします。この課題を考える上で、震災関連のドキュメンタリーは、どのようにご覧になったのでしょうか。

マーク 震災関連の映画の場合には、被写体が深刻な状況で暮らしているケースが多い。実は前回(2011年)には、震災関連の『Cinema with Us』を観ていたのですが、正直、半分ぐらいで心が折れて、別のプログラムに逃げました。

松林要樹監督には『相馬看花』もあれば『311』(森達也らと共同監督)もありました。彼はふたつの作品で、全く違うアプローチを取ったんですね。『相馬看花』では取材相手と友達になって、ずっと付き合っていった。その過程が作品に良く映っていて、友達関係が深まるほど、映画の質も濃くなっていったのですね。それとは違い『311』では直撃インタビューをやったり、実際に「撮るな」という人を撮ったりもしましたよね。その意味を考えるのが、倫理的な問題だと思います。

今回の7本でどういう倫理的な課題が見えてくるのか、まだ分からないところもあるのですが、例えば『なみのこえ』の酒井耕・濱口竜介両監督を、ディスカッションのゲストに呼んでいます。彼らの作品は不思議な映画ですね。インタビューではないけれども、話し合いではある。夫婦同士や、あるいは見ず知らずの人と。観客がその話し合いに招待されているような映画だと思ったんですね。津波直後の映画は、やはりショッキングでしたね。今回の震災関係の映画はどうなんでしょうか。

——2年半の時が経ったということが、ひとつのテーマだと言っていました。中国などアジアのドキュメンタリー映画に関してはいかがですか?

マーク 中国ドキュメンタリー映画には、被写体に対する倫理的なことを考えていない作品が結構あって、映画の為には監督が何でもする、という作品もありますね。時々びっくりします。対象とじっくり向き合ってという作品より、目の前に起きている事をそのまま撮っている感じがする。

しかし今回上映する『北京陳情村の人々』(監督:チャオ・リャン)は、そうした傾向がない。同じ人を10年以上撮っている。毎年毎年、村の同じ人が出てきて、監督が村のコミュニティーに入った途端、村人に「やあ、久しぶり!」って声をかけられたれりする。だから上映します。基本的には問題作より「良い作品」を上映したいのね(笑)。

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——ドキュメンタリー映画において倫理の問題を考えるとき、何か基準のようなものはあるのでしょうか。


マーク 日本の戦後のドキュメンタリーを語るうえでひとつの重要なキーワードは「対象との関係」です。ドキュメンタリー映画について考える時は、いつもこの3つの要素で考えたい。ひとつは「表現の自由」。もうひとつは「インフォームド・コンセント(情報を得た上での同意)」。最後は人々の「知る権利」です。この3つはそれぞれ「監督」と「対象(被写体)」と「観客」に対応します。これら3つのバランスはとても大切です。

多くの場合、監督たちは映画の為に何でもするから、インフォームド・コンセントは弱くなってしまう。あるいは無くなってしまう。対象が許可無く撮られてしまう、というケースもあるでしょう。しかし例えば犯罪者やくだらない官僚の場合であれば、インフォームド・コンセントを無視しても良いかもしれない。その場合には、知る権利がとても重要になってくる。状況によって、上の3つの要素がいずれかが強くなってくるはずです。

平等のバランス、ということではなくて、状況に対してのバランス、ということですね。結局、それを検証するいちばん良い方法は、対象との関係をみることなんです。対象との関係を大事にして、いい関係を気づいていれば、良い作品ができる。ドキュメンタリー映画の歴史の中で、その事を考えるうえですごく重要なのが小川紳介・土本典昭監督の両作品です。作家と対象の関係をものすごく大事にしながら、同時に観客の知る権利の事も考えている。

——原一男監督に関してはどうですか?今回、上映作品に『ゆきゆきて、神軍』(1987)をえらんでいますよね

マーク 『ゆきゆきて、神軍』は、ドキュメンタリーの倫理的な課題を考える時に、よく「問題作」としてとりあげられます。だけど私たちの場合は、「良い作品」として上映したい。倫理のボーダーラインを踏み越えようと試みているという意味では、間違いなく優れた作品です。私と藤岡さんは、映画にとって、倫理はひとつの“道具”というスタンスで捉えているんですね。それについて考えている監督の作品が、いちばん面白い。原一男監督はそういう人ですね。

——タブーを意識しながら、タブーも越えることにチャレンジしようとしている、と。

マーク そこに挑戦しながら、同時に自分自身にもチャレンジする事を課している。その意味では「良い監督」です。問題作の場合には、監督が自分の立ち位置に安住していたり、知る権利を使って、そのためには何をしても良いと思っている。だけど、そういう作品は大体弱い。なぜかというと、ドキュメンタリーでは、世界はそう簡単には変わらないと思うんですね。

知る権利を行使して「このドキュメンタリーを撮れば世界は変わる!」といっても、実際に世界を変えた作品がありますか?考えさせる作品は多いですけれども、世界は変わらない。実はそのテストケースは『華氏911』(2004 監督:マイケル・ムーア)でした。ムーア監督の意向は2004年の大統領選挙を変えるかと思われましたが、完全に失敗しましたね。あるいは小川紳介監督の三里塚シリーズが世界を変えていたら、成田空港はできていなかったでしょう!

——土本典昭監督も、『パルチザン前史』(1969)に関して「基本的には負け戦だが、どう負けたかを考える事が大事(*1)」だと言っていました

マーク それが、「対象との関係」でしょう。あとは環境。土本さんが、それを計算していたんですね。「問題作」の場合は、私の作品は世界を変えるから、何でもできる、というスタンスです。

——最後に、今回このプログラムで「フェア・ユース(著作物の公正な使用)」の問題をとりあげますね。これを日本で議論するという狙いはなんですか?

マーク 最近、アメリカでフェア・ユースの概念が確立されたんですね。クリアになった。その経緯について話を聞きます。提唱者のひとりで、今回来日するゴードン・クイーンさんにとっても、僕にとっても、作家の著作権自体はとても大事だけれども、著作権が生きているものでも、ドキュメンタリーに使用できるものがなければ、ドキュメンタリーの世界が健全とは言えなくなってしまう。いや、民主主義自体が健全ではなくなってしまう。健全な民主主義の為には、フェア・ユースがとても大事なのです。アメリカの場合は、音楽でも映像でもキャラクターでも、大会社がぜんぶ、著作権を持っているんですね、身動きがとれなくなるぐらい、厳しかった。そこでフェア・ユースの運動が起こってきて、信じられないぐらい成功しました。

——すごいですね。日本では、公共性の高い映像などを引用するのに、べらぼうに高い著作使用料を支払わねばならない現実があったりします。具体的なお話は会場でお聞きしますが、民放やNHKの関係者も来てほしいですね。

マーク アメリカの場合は、政府が作った映像などは、原則全部タダで使えます。ほんとうに、官僚とかにも来てほしいです。だから映画祭後に、東京でもシンポジウムを開催します(*2)

——どうもありがとうございました。

*1『ドキュメンタリーの海へ――記録映画作家・土本典昭との対話』(土本典昭・石坂健治著、現代書館2008)より
*2 セミナー『ドキュメンタリストの著作物フェアユースについて』
10/18(金)18:00〜20:30 城西大学:紀尾井町キャンパスにて 

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【開催情報】

山形国際ドキュメンタリー映画祭2013
6つの眼差しと<倫理マシーン>
10/12−15 山形美術館にて

公式HP:http://www.yidff.jp/
YIDFF Live!→http://www.yidff-live.info/ (会場のお知らせなど)

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【プロフィール】
阿部・マーク・ノーネス
ドキュメンタリー映画研究者。アメリカ・ミシガン大学教授。山形国際ドキュメンタリー映画祭にて、「日米映画戦」(1991)、「世界先住民映像祭」(1993)「電影七変化」(1995)のコーディネートを務める。英文での著書に『日本ドキュメンタリー映画:明治時代から広島へ』(米国ミネソタ大学出版)。小川プロについての研究文献多数。

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