【連載①】原一男の「CINEMA塾」’95 深作欣二×原一男「ヴァイオレンス篇」

『ゆきゆきて、神軍』の暴力

 えー、『軍旗』のすぐ後に菅原文太の『現代やくざ 人斬り与太』二本続けて「人斬り与太」のシリーズが作られますよね。それから有名な『仁義なき戦い』のシリーズがあって、『新・仁義なき戦い』があって『仁義の墓場』と。つまり、非常に個人、個的な暴力の世界に一気にですね、しかも量産されるというところに突き進んでいきますね。で、資料をいろいろ漁ってみますと、なんていうのかな、しつこくお聴きしますけど、暴力をですね、ある理屈でもって捉えられてたまるかっていうんでしょうか。捉えられないような暴力、そういうものに一気にいかれますよね。その辺の思いをもう少し語って頂ければ。

深作 そうですね。暴力というものにはですね、暴力とはなんだと、先程もちょっと問題になりましたけど、人間の感情がですね、あらゆる理屈を飛び越えて一つのアクションに集約される、それが暴力なんじゃないか。少し例が先走っているようですけど、先程の三本のあれからすればですね、原さんがお撮りになった『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三という人物の持っている、ある、何と言うのかな、おぞましい、ものすごくおぞましい危険な感覚。平凡人にはちょっとつき合いかねる感覚が、彼の場合には天皇にむけてパチンコ撃ったり、お客さん方によってはですね、拒絶反応を起こされるような、起こすような人もいらしたと思いますけれども。それはやはり、彼なりの積み上げてきたいろんな悔しさの激発される感情がですね、もとの上官である、腹切ってひいひい言っている老人に、組み付いていったり。それからまた別の上官に組み付いていって、逆に組み伏せられてしまって、この身をもんで悔しがるというようなね。そういう激発する感情だと思うんです。それで、その感情を持つことがね、彼もやっぱり時代を越えて、信頼させるというか、我々の怠惰な姿勢とかですね、この臆病さ加減を撃つひとつの魅力を持っているんだと思うんですよ。そいでまたこれは三日目か、ご覧頂くわけになるんですが、あなたの『極私的エロス』にしてもですね、非常に突然、あるアクションに踏み切る。その感情が非常に我々の、なあなあと世の中の仕組みをまとめていく、いい加減さを撃つ鮮烈な魅力に満ちあふれているわけですよね。暴力とはそういうものではないか、という気がするんですよね。

それで、これはそういう暴力を押さえていくのが教育であったり、人間としての成長であったり、というようなことなのかもしれませんが、そういうものを一気呵成に飛び越えてしまう。人間っていうのはやはり我々にある感動を与える。『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三が持っているものは、やっぱりそういうものだと思いますし、わたし自身があの時期、個的な暴力というようなものを、反戦というかそういう理屈はどうでもいいと。ただ、たとえばね、ヤクザの組織論でいえばですよ、『仁義の墓場』の、ヤクザの兵隊というのは、敵と闘ってこそ一人前のヤクザなんであって、それが全然敵と闘わずにですね、自分の兄貴分や親分を斬りつけていくというのは、これはどうしようもないんですけども、そこに何ていうのかな、ある種何とも言いがたい清浄されない暴れといいますかね、それは魅力でもあるんですけど、それをすごく感じていましたし。まあ、だから個的な暴力を描き始めたというのは、そういうことだったんですけどね。

 もうすっかり結論に一気にいっちゃったような感じがしてましてですね。私も深作監督の映画が好きでして、それから文章を一生懸命集めて読んでいる限りにおいてはですね、まったく思いは同じなんですよね。本当はVSにならないと討論にならないんですが。えっと、さっき結城昌治っていう名前が出てきたんですが、実はですね、「プレイボーイ」っていう雑誌で深作監督もちょっと話題に触れてらっしゃるんですけれども、奥崎謙三の映画を撮りましてですね、僕らにとっての最大の難問はですね、上官を殺すと、かつての処刑事件の責任者である上官の中隊長、それこそ上官をぶっ殺すというふうに奥崎さんは決意するわけですよね。で、その殺しの場面を撮影しろという風に要求があったと。で、そのときに僕は非常に悩んだんですよ。嫌だと思ったわけじゃないんです。撮ろうか、あるいはどうしようか。で、正直いって怖さもありました。しかし、撮ろうかというふうに実は考えたことはあるんです。で、となりにいるプロデューサーはですね、殺しの場面なんて絶対に嫌だということで、ふたりで激論になったこともあるんです。それで、そのことで奥崎さんの家へ出かけてですね、何とかやめてくれないかとかいう風な、経緯はいろいろあったんですが、最終的にその問題が未だに僕らにとって解決されてない問題としてですね、作り手として残ってるんですよね。で、そのときにですね、撮るべきか撮らざるべきか自分で判断つかないものですから、実は結城昌治さんのところに行きまして、会ってですね、相談したことがあるんです。結城昌治さんはですね、それは千載一遇のチャンスなんだと、作家にとって。僕だったら撮りますね、とこう仰ったんです。もちろん、あの人は監督じゃありませんね、物書きだから。とにかく結城さんはそう仰った。で、今度は今村昌平のところへ出かけていきました。今村昌平だったら、絶対撮るべきだろっていうかなって思ってたんですよ。そしたら今村昌平はですね、原君がですね、奥崎謙三を撮るということで一緒についていって、奥崎さんがなんで殺すかわからないけれど、たとえばドスを持って相手を刺す、で血がしたたり出ます。そいうものを原君が撮ったとする。しかし、表現というものはそういうもんだろうか? 自分は撮るべきじゃない、とこう仰ったんですね。で、言ってみればその2つの考え方、大きくいえばわけられますよね。その間でいまだに僕自身、結論が出ていません。これは仮にっていう話にしかなりませんけれども、もし深作監督がですね、奥崎謙三と出会ってですね、そういう場面に直面なさってれば、どう選択するか。まあ、ひとつの可能性としてですね、お聴きしてみたいんです。

深作 僕は劇映画でだけ育ってきて、ということはですね、あなたと一番違うところは、あなたはその現実にそれなりの生を選んでこられた実在の人物とつき合ってこられたわけですよね、すべて。僕はそういう実在の人物をモデルにしながらでも、その間には絶えず俳優さんという存在、それを写すスタッフというもの、まあスタッフの存在は同じですけども、間に俳優さんというものを置いて、それと関わりあってきたわけですよね。それで、その俳優さんに対して、これも非常に今の問題でいえば、おこがましいというか今思えば法外な注文だったと思いますけど、全然嘘くさいとかですね、もっと本当らしい殺し方ができねえかとかですね、そういう注文ばっかりくり返してきたわけですが。今の質問についてお答えすれば、あとあとの、あなたも折角撮ったフィルム、プロジェクトが空中分解してしまうということについての怖れの方がですね、おそらく生理的な怖れ、つまり殺人の現場に自分が立ち会うということよりは、そのなかで、たとえばフィルムが没収されるとか自分も殺人幇助みたいなことで刑務所に放り込まれてしまうとか、それから折角延々と撮りためたフィルムはどうなんだとか、そういうことの方がぼくの推察からすればですね、大きかったんじゃないか。迷いとしてはですね。それで、おそらく僕が迷うとすれば、やっぱり人道的なことじゃなくて、そっちの方だと思うんです。同時に今村さんのあれよりは、それは表現ではないじゃないかと仰られるかもしれませんが、結城さんの方をとるだろう。しかも、奥崎さんは俳優さんじゃないですからね。こんなことを申し上げてはいけないけれども、なんせ本物の確信犯だから、その確信犯がやるということに関してね、僕が止める筋合いはないし、これはやっぱりやってくれねえかなと思うでしょうね。

 いいですね。やっぱり深作監督は。いや、ちょっと弁明させてください。これはですね、僕はそのとき考えたのは、実は弁護士のところにも相談いったんですよ。もし撮ってればですね、どうなっただろう? どうなるだろうか? そうすると弁護士さんが仰るにはですね、前例がないからわからないと、闘ってみるしかないだろうという返事だったんですよ。で僕は最悪何年喰らうかわかりません。じゃあフィルムを守るためにどうすればいいか。とにかくそれは隠し通すと。で何年かすればですね、出てくるだろうと。それまでとにかく隠し通す。で、出てからですね、それから編集してフィルムを映画として仕上げてですね、公開すればいいじゃないかというところまで一応は考えたんです。じゃあ、なぜ撮らなかったのかっていいますと、実はですね、奥崎謙三と一緒にニューギニアへですね、一緒に行きました。ニューギニアへ一緒に行く以前からなんですが、奥崎さんとですね、壮絶なですね、自分で壮絶なというのもちょっと恥ずかしいんですけれども、でも本当にその何て言いますか、罵倒され尽くしたといいますか。本当に。それがですね、ニューギニアでフィルムを没収されたり、いろんなことがあるんですが、とにかく奥崎謙三の、1対1の場でならですね、まだ我慢できる。しかしそれがですね、人がたくさんいる場でですね、お前は本当にダメなんだっていうことをですね、何度も罵倒され続けてきてですね、ほとほと顔を見るのも嫌だって言うふうな感情がですね、かなりピークにきてたんですよ。

深作 なるほど。

 そういうことがあってね、その殺しの場面を撮らないかっていう問題が並行して継続したときにね、もう顔を見るのも嫌だっているその生理的な嫌悪感、もう嫌だって言う、逃げるような気持ちがですね、かなりピークにきてたんですね。だから、これは僕の弁明かもしれない。それが僕にとっての言い逃れかもしれない、本当いいますとね。でも、そうじゃないかもしれないっていう風に思うところが、実は僕のなかにあるような気がするんですが、もし奥崎さんがもっと人の扱いがうまくてですね、多少私をですね、ヨイショしてくれるというようなテクニックをですね、持ってればですね、つい調子にのってですね、ついていったかもしれないんじゃないかっていうような気がね、どっかであるんですよ。

深作 なるほど。奥崎さんは、参考までにうかがうんですが、一対一で原さんを罵倒するというようなこともあったんですか。

 一対一でもあります。

深作 一対一でも。衆人環視が狙いでするというわけでもないんですね?

 それはね、そこを狙ってていうことは僕に関してはなかったと思います。

深作 ああ、そうですか。

 とにかくそのときの自分の怒りを、とにかく真っ当に、何と言いますか、ぶつけるという、そういうことを選択するタイプの人なんですよ。そこはもう容赦しないって言いますかね。

深作 わたしは、奥崎さんがね、これから中隊長を殺すと、あなたそれを撮りなさいというのは、奥崎さんの表現の意欲なんですか? それとも怒りだったんですか?

 えーとですね、そこはなかなかですね、それこそ石川力夫と同じでですね、一筋縄ではとけない部分がありましてね、奥崎さんはですね、自分が暴力をふるうときにですね、ある決意をしますね。そうするとですね、自分がふるおうとする暴力が、なんていいますかね、支持してくれるだろうかって、ある種何人かの人にそれを相談するとか。さりげなく話してみるとかね、かなり探ってんですよね。そして、共感してもらえるっていうんですかね。その相手が、奥崎さんが犯罪を犯そうとする相手にね、他の人も、その人なんか死んでしまえば良いって思ってる、って言葉をきくとですね、それが一つの錦の御旗になって、殺してもいいんじゃないかって、そういう志向があるんですよね。

それとですね、奥崎さんは映画を見て頂けるとわかると思いますが、ものすごい芝居っけたっぷりですよね。つまり、のっけから『神軍』の場合、奥崎謙三という人はですね、これは私の記念碑。碑っていうのは石を卑しむと書きますと。しかし、わたしは卑しむとは思っておりません、とか何とかって理屈を言っておりましたけど。これは自分のメモリアル。そしてこうも言ってました。これは自分の宣伝映画なんだと。それが段々後半になってまいりますと、これは私の思想教育宣伝映画。やっぱり最初は漠然といってたのがですね、映画が進んでいくにつれてですね、明解にこれは自分の宣伝映画なんだと。そのために一生一代奥崎謙三がですね、僕らのカメラの前で大芝居をするっていう意識はかなり明解に持ってたんですよ。それで現実にですね、中隊長さんのところに行ったとき、これはもう本当に僕らに一言もいわずにね、奥崎さん乗り込んでいっちゃったんですよ。それでその事件が起きた時には、僕はテレビの仕事してましてですね、テレビのニュースで知ったんですが、これはですね、後からわかったんですが、そのときにですね、奥崎さんはですね、拳銃を手に入れたんですよね。凶器として。その拳銃がですね、神戸のヤクザからどうやら手に入れたらしいんですね。それが改造拳銃、ちょっと小型の拳銃らしいんですね。で、これは後から聴いた話なんですが、奥崎さんが出かけていってですね、中隊長がいなかった。で、息子が出てきたわけですね。その息子というのは、奥崎さんと実は初対面じゃないんですよね。下見にいってるんですよ。下見にいったときに息子さんと会ってる。その息子さんが奥崎さんのこと、どうも嫌っているというか、どうも失礼な態度をとったらしい。で、当日出かけていったときにですね、息子さんが出てきた。そのときも、おそらく息子さんがどうも奥崎さんに失礼な対応をしたらしいんです。

あの映画のなかにも暴力をふるうシーンが2つ出てきます。最初のシーンはですね、奥崎さんに対して失礼な態度をとったから奥崎さんが暴力をふるったという感じなんですね。で、息子さんのときもそれが一つ類推というか、そうだろうという風にうなずける。もし息子さんが真っ当に奥崎さんに対応していたら、もしかしたらやらなかったかもしれないという風には考えられる。それが1つなわけですね。それとですね、その拳銃がですね、本当に殺傷能力があるかどうかっていうことが、奥崎さんにとってはですね、不安だったという話が伝わってたんです。それで、やってみようという風に思ったっていう話も、また後から聴いたんです。だから本当に奥崎さんが上官に対して、上官をぶっ殺して何が悪いという激情というふうな解釈だけで成り立つのかどうかと。拳銃の問題もあります。息子さんを撃ったということもですね、息子さんに対する奥崎さんなりのリアクションだったかもしれない。いろんなことがありましてですね、とても一言では語れないということがあります。

深作 上官を殺して何が悪いんだといっても、もう何十年も経っていることですしね、ある種の上官に対する一つの憎悪というか、直接の関係としてね、それが成立するような状況ではありませんし。だからやはり自分を、いろいろさっきの何ですか、思想教育映画ですか、記念碑ですか、そういう形で自分をどんどん縛っていく、自分の行動を縛っていく。そういうことは明確におありになったでしょうね。

 ありますね。

深作 そこがおもしろいというか。

 それが確かに奥崎さんの方法論なんですけど、奥崎さん自身も割と臆病っていいますかね、気の小さい方。それは僕はずっと傍にけっこう長い時間いましたんで、わかるんですが、自分が臆病だってことをよく知っている。その臆病さをですね、なんていいますか、あるシチュエーションのなかで、臆病だからこそエネルギーを溜め込んでいくいいますか、かなり意識的に溜め込んでいって、何かあったときに一気に爆発させるっていう、そういう操作をですね、かなり意識的に奥崎さんという人はですね、トレーニングしてるっていう感じが持ちますよね。だから、右翼がですね、奥崎さんの車を見つけて、右翼の車が、右翼がですね、奥崎さんにまあちょっととっちめてやろうみたいなことでですね、近づいてくるシチュエーションがあるんですよ。そのときに奥崎さんの方はですね、その右翼が自分にもし危害を加えたら、そのときには自分はやってやろうって、そのときにはドライバーをポケットにしのばせておくんですね。被害を加えようとしたら、すぐ相手を刺すっていう気構えをですね、もうスタンバってるっていうか、だから勝つんですよね。そういうそのエネルギーの操作っていいますか、を実によく知っているっていうか、鍛え上げてきた、そういう感じはあります。

深作 そうでしょうね。そういう危なさといいますかね、それがまた、先程瞬発する激情というようなこと申し上げましたけれども、昔国家が人殺しどもを軍隊という機構でですね、養成しようとしているときにはその影響があったかどうかわかりませんけれども、当然男らしさとは何かということを子どもの頃からね、否応なく対面させられていましたよね、我々の時に。そうするとやっぱり、たとえばそういう時に、自分が踏み切れるか踏み切れないか、たえずそういうところでね、日常生活を積み重ねてきた人間には、またこの女性の体から生まれてですね、女性のおっぱいを頼りに大きくなってですね、なんだかんだ育ってきた人間にはね、いきなり人殺しというのはちょっとね、また暴力人間というのはなかなかなれるものではないですけれども、やっぱり奥崎さんのような、あるいはこの日常のなかでの男らしさを否応なく、嫌だなと思いながら直面してしまう男どもにはですね、その吹っ切れる瞬間ってのは、なんかワクワクしながら、ワクワクって心躍りしながらではなくって、胴震いしながらでも待ち構える。奥崎さんがドライバー持っていたのと同じような気持をね、なんか子どもの頃、僕もそんな暴力人間ではありませんでしたけれども、なんか覚悟といいますかね、そんなものが否応なく持っていないと男じゃないと、男じゃないと言われるのが一番の恥辱ですからね。だから、ケンカでもこっちから言っていって、この野郎とやるんではないんですよ。一発殴られりゃ弾けられる。そしたら後はカッと我を忘れていけるという気持は常に、僕もかなり平均以下臆病な人間だったと思うんですけれども、みんなそれは持っていた気がするんですよね。だから、迂闊にやれないんですよね。突然、相手がキチガイになって突っかかってくるかもしれないわけだから。なかなかそんときにね、相手を見くびれない、キチガイの度合いはわかりませんからね、なんかそういう意味ではね、なるほどその時代は男だったんだろう、男が男としてくだらないことだけど、あり得たんだろう。今の若い人とあんまりそういう話したことないけれども、突然そういうふうな衝動に自分が駆られることを、自分で認めるといいますかね。そういうことはあるのかどうか、それもまたね、暴力を描くということの一つの核であるような気もするんですよね。弱虫の人間が突然キレる、キレることを自分で絶えず用意し、意識している日常といいますかね。それはあったんですよね、我々のときには。

だから、いじめられて自殺っていうのはなかった、ないんですよね。あんまりない。自殺はない。つまり、キレるのが男だと思ってたから、キレるのが内に籠っていじめられたから自殺しちゃうというようなことはなかった。今どうもこの自殺が多いということのなかにはですね、学校の教育とか家庭の教育とかですね、そういう規定の仕方がですね、いまいち人間を衰弱させているような結果だというような気がして仕方がないんですがね。

【次ページへ続く】