【連載①】原一男の「CINEMA塾」’95 深作欣二×原一男「ヴァイオレンス篇」

映画作家の暴力衝動

 えっと、いろんな話へのきっかけがあるんですが、順を追って。その前にひとつお聴きしておきたいんですが、深作監督はケンカ体験っていうんでしょうか、豊富なんですか?

深作 ケンカ体験は、まあつまり、その頃決闘というのがね、常識的だったので。動機はつまらないことなんですよ、ガンつけしたとかね、ちょっと体がふれあったとか、何だよ、そいで、よし1対1というようなことは割と多かったんですよね。んじゃ、出てこい明日の昼だ、昼休みだと。明日の昼までが嫌でね。なんとなくワクワクして。それでその頃そうだなあ、黒澤映画っていうのが初体験だったのが『姿三四郎』というのが戦争中にね、そういう風に呼び出し喰らったときにたまたま見てて、変な所で役に立った覚えもありましたし。それで、そん時がくればね、もう腹は座っちゃうわけですわ。昼休みになれば。それまでがね、何となく嫌だなあとか、休んでやろうかとかね。

 腹が据わってその結果、勝ったことが多いんでしょうか?

深作 負けたことの方が多かったですね。というのは、殴りっこといってその頃ボクシングも何もなかったんですけども、一応なぜかこの決闘の場合は相手はボクシングのつもりでいることが多いんですよね。僕は相撲が得意だったもんですから、いざやると、相手に飛び込んでいっちまえば、もうこっちのもんなんですよね。手がかかったら。そしたら投げ倒して、馬乗りになって、こうやっちまえばいいわけですから。そうすると、汚い汚いとか悪評もありましたけれど、なんかそういう相手の意表をつくことが多かったのかな。勝てたということは。それが通じない相手のときには、もうダメですよ。頭抱えて地べたに倒されて、もう無抵抗で防御するかしないですからね。

 私はですね、自分のこといえば、すごく臆病でですね、ケンカをするようなシチュエーションというのは避けるというか逃げるというか。たぶん暴力的な場面になると自分は弱いと思って、実際弱いんです、私は。だから、そういうケンカ経験っていうのはあんまりないんですね。しないようにしてきたというか。そのくせどっかでですね、暴力ということに対してですね、こんな感じなんです。電車がホームに入ってきます。なんか飛び込みたくなるような衝動ってありますね。そういうような感じとして、暴力に対して惹かれるっていうんでしょうか。だから、ちょっとこう自分がケンカに対してですね、馴れてるとか強いとかではそういう訳じゃまったくなくて、その辺はものすごく臆病なくせにですね、ものすごく自己破壊衝動といいますか、そっちの方なんですね。

深作 プッツンキレちゃうってことはですね。どちらかというとそれに近いんじゃないかと思うんですけどね。原さんの目を見ていてですね、それからこの撮り方の姿勢を見ていると、あんまりケンカが弱いタイプとは思えないんですよね。この人がキレたらちょっと始末に困るな。さっきの狂気のあれではないんだけれども。

 いや、ケンカは本当に弱いんです。ただ自分のなかの痛烈な猛烈な狂気みたいなのが、たしかにある。私も50歳になりました。で、これが年をとるにしたがってですね、自分のなかの凶暴な何かってのが少しずつ明解になりつつあってですね。自分でそういうことが怖いっていう感じがとてもあるんですね。それでわたしの場合はですね、自分でカメラまわすでしょ。カメラをまわして実在の主人公と相対峙するというような感じありますね。そのときによく言われることですが、カメラ武器論。カメラってものが凶器。凶器って意識は自分、持ってるわけです。それをものすごく肯定的に自分はとらえてる。その凶器である部分を私は武器にしてですね、相手に攻め込む、あるいは相手と僕との一つの共犯関係が成り立つ時にはそれを他者に、第三者にむけていくって、それはかなり意識的にですね、やってるってことはあるんですよ。

深作 なるほど。

 それで、かろうじて自分の暴力衝動をですね、なんとかコントロールしているという意識はあります。しかし、いつかそれでは済まない時期が来るんじゃないかっていうふうな思いがですね、ここんところ、してしょうがないんです。だから、そういう自分のなかの狂気っていうんでしょうか、それを一体今後どうコントロールしていけばいいのかってのがね、本当に自分でときどき途方にくれることがありますね。それはたとえば深作監督の場合のですね、よく仰ってるような抵抗感覚って仰ってますね。それから、あの若いときは怒りという感情を基調にして生きてきたし、そういう映画を作ってきたと仰っていますね。その辺との違い、その辺はどうでしょうか。

深作 えーとね、喜怒哀楽、人間の感情のなかでね、悦び、悲しみ、それから悲しみ、楽しさ。これはこの日本映画の、あるいは世界の映画の圧倒的多数というのは、その感情に基づく映画ですよね。ただ、その怒り憤り、二番目の怒というやつに基づいたね、映画ってのは非常に少ない。まあ気持ちのいい映画にというか、お客さんの喜ぶ映画にはなかなかなりにくいことなのかもしれませんが、まあたとえば『ゆきゆきて、神軍』っていうのも、一つの怒りの映画だと思いますし。わたしがヤクザ映画何本か、何本かかなり多く作ってきましたけれども、やはり何と言いますかね、僕にどうしても撮れなかったのは、いわゆる任侠美学に基づいた折り目正しい映画ってのは絶対撮れなかった。それは嘘っぱちだということが、嘘っぱちで何が悪いかといえば確かに表現というのはね、嘘っぱちで悪い理由はないんですから。ただ、どうしてもそういう折り目正しいヤクザの嘘っぱちさには「ヨーイ、ハイ」がかけられなかったわけですよね。

それだったら怒りに基づく映画、論理づけできない映画というのだったら、非常に撮りやすかったし、のめり込んでいきやすかったし、というのは、やっぱり育った時代がどれだけ人間に影響を残すのかどうか分かりませんけれども、やっぱりそれにね、かなり突き動かされている部分が自分のなかにあったのと、もうひとつ僕が育った環境が水戸という非常に論理性の欠如した、右翼的情緒の横溢した土地柄だったということが、どっかね、関連があった。それで僕の家族はヤクザでも右翼でもないんですけれども、そういう家庭環境でされ、男は男らしくあらねばならないというようなことを、本当におふくろは分かっていっていたのかなと。そういう男のやりきれなさみたいなものと、非常に疑問に思うんですけれども、やっぱりそういう状況がなんか子供の頃から自分のなかの臆病さを、自分で抑え込もうということはあったことは確かなんで。そんな教育をしながらね、僕のおふくろなんか絶対僕の映画なんかはね、見ようとしないでね、また愚かな映画を作るのかと、お前は子供の頃やさしい子だったのになんていうことを。そんなこと大きくなってから言われても困るっていうことだったですけども。

●映画『仁義の墓場』

 まあ、私たちは一応、ジャンルとしてドキュメンタリーって言われてるんですけど。ただ、奥崎さんっていう人と何年かつき合って映画にしたんですが、奥さんと付き合いながらですね、奥崎さんのなかに、それを撮っている私自身をかなり投影させてるんですよね。類似点、親近感、かなり共通してる部分があるだろうと。もちろん、あれだけのパワーは自分にはないと思ってはいてもね、それから臆病さはさっきいいましたけど、はね返すようなそういうその自分のコントロールの仕方も、そばで見ててよくわかるというか。自分もああいうふうにしなくちゃいけないとか。ドキュメンタリーですら、そうなんですよね。ドキュメンタリーではわりとそうじゃないように思われるかもしれないと思うところあるんですが、実はドキュメンタリーでもそうなんですよね。

それで、『仁義の墓場』の石川力夫っていう実在の人物。実在の人物っていうのは、とりあえず映画のなかに出てくるあのイメージですね。あれはですね、暴力衝動の、こう原初の形といいますか、オリジナルな形っていうふうに見れるんですね。それは『人斬り与太』から、あるいは、あえていえば『仁義なき戦い』もそうだろうし、その系譜があって、やっぱり『仁義の墓場』の石川力夫までつながる流れっていうふうに思えるんですよね。それは一本ごとの個別の世界はありながらも、ある共通した世界をくり返し、監督はやってきてらっしゃる。それはもう、よくもあれだけ飽きもせずっていうか、決して否定的にじゃなくてね。そうした場合の、監督自身のですね、狂気のあり方と作品をつくっていく、作品と自分との関係といいますか。それをどのように交錯させながら作品が生み出されていくのか、そこらあたりをお聞きしたいんですけれども。

深作 何ていいますかね。これも理屈になってしまってはしょうがないんですけど、石川力夫という人間を考えたときに、あの人も私と同じ水戸の人間なんですよね。それで、水戸というのがあれかというと、そうでもないんですけど、論理性がないという意味では明確に共通項はあるわけですよね。それと、このすごく地方出身者によくありがちな、甘えの構造を持っている。つまり、その同じところから出てきて先輩後輩、あるいは同輩。あのとき梅宮君に渡君がいうわけですけれども、「俺たちは函館の少年刑務所で誓いあったろ。どんなときでも、面倒見合うのが兄弟分だと」。といっても、あんなふうに迷惑ばかりかけている奴がそれじゃ兄弟かと、てめえ何考えてるという、相手が怒りだすのが当たり前なのですが。はてしなく寄り添っていく。寄り添っていく能力を抱えながら、というよりも、孤独な人間だから寄り添っていこうとする。そうすると、相手が付き合いきれなくなってくる。そうすると、途端に歯を剥き出すと。そういうようなことなんじゃないかなあと。

 すみません。あそこのシーンはですね、いま聞いて、へーえ、そういう意味かって、ちょっと驚いたんですが。あれはですね、梅宮辰夫、つまり若い頃はですね、共感がいってみれば共有できたと。ところが彼は、いってみれば一家をなしていくわけですね。つまり社会と適応していく。石川力夫の方は適応できずに、その差といいますか、適応していく人間に対してやっぱり刃を向けていくという風に見れてんるんですが。

深作 だから、それはそれでいいんですよね。つまり、僕が適応できているから適応できないでいる人間をどこかで軽蔑している。だから、上に立ってですね、お前なお前なと、恩着せがましくというのでもないけれども。つまり、上の立場から物を言う。そうすると、それはもう、かつての兄弟分の関係は俺たちの間では消滅しちゃってる。それは面倒見悪いぞ、面倒見悪いぞというのは、兄貴分だけじゃなくて親分にもいうわけですよね。どんなことがあったって、泥をかぶるのが親分だろう。それをなくして親分といえるか。また同時に兄弟分だろうという。まあ、こっちが兄弟らしいことをしないでですね、相手にそれだけを要求するっていうのは、これはかなりわがままなんですけれども、それだけ孤絶しているということは何となくわかるし。映画界もこれだけ左前になって落込んできますとね、いろんな人間が出てくるし、また落込み方も激しくなってくる。そのなかで、おい、いい加減にせえよ、という人間もいないわけではない。まして酒の勢いでも借りればなおのことですよね。ケンカが絶えない。そんときにやっぱり、それは甘えだろうと切り捨ててしまえば非常に簡単なんですけど。どっこい、そうはいかないところに、人間のある孤独な魂というのは、ふっとのぞくときがあるわけで、同時に始末の悪い、奥崎さんにもあったと思いますが、映画を見ていてですね。そこがますますきれいな世の中になっていっている、いまの日本的な状況。それからその状況と正比例して、女性の方がある力を持ち得ていく。そうすると、男っていうのは果てしなくだらしなくなっていく。というようなことをしきりに感じられて仕方がないんですけどね。

 男よりも遥かに女の方がおもしろんじゃないか。そういう時代になってんじゃないかっていう話は、まあ明日、あるいはあさってに回すとしましてですね。映画にそくして2点ほど是非聞いておきたいことがあるんですが。石川力夫がですね、異常なくらいに背中をかがめるというか、丸めますね。ああいうふうな身のこなしっていうのは、監督のイメージを渡哲也に要求したんでしょうか? 彼自身がそういう芝居をしてみせてくれて、そういうふうにでき上がってくんですか?

深作 いや、こちらの要求のなかにありましたね。なんか、ひたすら身を屈めていくとね、つまり落ちていく自分、落ちていく自分を意識しながら、それに対する抵抗感覚をその姿勢のなかに持っていると。低く低くかまえていて、ワッという。ひとつの何ていいますかね、バネといいますかね。それと、落ちていく感覚のなかでは、これはもう胸は張れませんよね。本人が落ちつかないですから。落ちていく人間は絶対胸は張れない。それだったら、屈んで屈んで屈んで、相手の顔さえも見ない。まあ、ヤクザの方とつき合ってますとね、たとえば相手の目を見て物言え、俺の目を見ろ、何にもいうなっていうのは、あれ嘘でね。絶対目を見ないんですよね。いつもね、こうやって話してる、この辺を見てるんですよ。で、こうやって話してるんですよね。安藤昇という人がそうでしたし、気持悪いですよ! たいがい、面とむかって話しててね、目を見ないでこうやって、ああやって、こう…。おへその辺りを見られていますとね。そのとき姿勢を低くして、こうやってる。なんかこう稼業に身に付いた姿勢といいますかね。そういう感じがあったもんだから、渡君にも。

 ああそうですか。奥崎さんの場合はですね、目をそらすと許さないんですよ。

深作 そうですね。そこがあの人の…。

 自分の目を見ろと。これはかなり疲れるんですけどね。

深作 姿勢もいいですしね。

 8時間、見続けないとですね、とにかく許さないんですよ。えらく違いますね。そうですか。

深作 そうです。奥崎さんの姿勢のよさ。それから、あの人の、こら敵わんなこの人は、と思わせる、ある種のおぞましさってのは、その強さなんでしょうね。

 もう1つ。骨をかじるシーンがありましたね。かなり鮮烈なイメージなんですが。これは深作監督のオリジナルなイメージっていうふうに文章読みました。これはどんなふうにそのイメージがですね、私もこの次劇映画撮りたいもんですから、教えて欲しいんですが。

深作 実は、あれは実話だったのでね。

 あ、実話ですか。

深作 いやいや、石川力夫の実話ではなくて、黒澤明さんの『酔いどれ天使』という映画で、三船敏郎の兄貴分のヤクザ、山本錬三郎さんというすごくユニークな方がおりましたけれども、この方がね、『酔いどれ天使』の前だったかな。若い時に奥さんを亡くされたときにですね、そのお骨を前にして泣いてないてボロボロボロボロ泣いて、酒を飲んで目をすえて、みんなシーンとなっちゃったそうですが、そのうちいきなりお骨を持ってきてぼりぼりぼりぼりと、これまた泣きながら齧りだしちゃったっていうのが、実話であったそうで、それを聞いたときにですね、これはいいシーンだなと。いいシーンというのは変な言い方ですけど、ぜひ使ってみたいなあと思っていて、それで渡の一番最後のときにある種の悲しみと、それから恫喝と全部ひっくるめて、自分のいろんなあれをひっくるめての骨かじりにしたらどうかなあと思ったんですよね。あのあと、誰だったかな、活動家にはどうもうそういう傾向というか、情緒過多の側面があるようで、山本さんばかりではなくてですね。誰だっけな。誰か監督が亡くなられたときに、牧野さんじゃないけども、そんとき焼き上がってきた骨かじっちゃったと言ったのは笠原和夫だったかな。誰だったか、もうひとりやっぱりその親しい助監督、誰だかいまちょっとね、仏さんの名前も齧っちゃった方も、確かめられませんけども、そういうこともあったそうで、これはかなり情緒過多の側面ですよね。まあ、僕もそれを撮り終わってからでしたかな、親父が死んで焼き上がってきたときに、ああ、親父にもいろいろ心配かけたから、せめて骨ぐらい齧っておこうかなと思ったことありましたけど。そんときは齧らないじゃったですけどね。あの、なんですか、食人種の習慣というのは、つまり肉を喰うというのは、相手に対する敬意だという説がありますよね。それと似たような衝動かなと思いましたけれども。肉よりは骨の方が喰いやすいです。噛むのが。

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