【連載】原一男の「CINEMA塾」傑作選〜 テレビ・ドキュメンタリーの青春①〜 原一男×村木良彦×芹沢俊介

『あなたは・・・』©TBS

テレビは「画」ではなくて 「音」である

 ちょっと待ってくださいね。萩元さんが、テレビは画ではないっておっしゃった。じゃあ、テレビは音だって、そうおっしゃったっていう意味ですか?そこまで明解におっしゃってたんですか?

村木  音というふうに断言したわけでもなくて、何であるということはまだ語ってないくて…。

  そういうことではないですよね。

村木  要するに否定形があったわけです。

 否定形が…。画ではない、と。

村木  画ではない。

ごめんなさい、言葉尻捕らえるようで恐縮ですが。画じゃない、じゃあ何なのか?っていうのを模索してたっていう感じですかね?

村木 ええ、模索してたってことですね。つまり、わかんなかったっていうか。そう言われてみると確かにテレビは画だっていうふうに思い込んで、映像は画だというふうに思い込んできたのはちょっと違うかもしれないというふうにだんだん思ってきたわけですね。

それと、ワンキャメじゃなかったんですよね。さっき3台とおっしゃった。

村木 ええ、3台。だいたい3台。もしくは4台ぐらい使ったかもしれません。

  ひとりの人に、どの現場も皆3台から4台…。

村木 ええ。というのは、いきなり行くわけですから、アポも何もなしに。だから、どっち向いてしゃべるかも。しかも素人ですから、カメラのほう向かせてとかそういう技術は全然持ってないわけですから、だから3カ所ぐらいにあらかじめカメラをセッティングしといて、どれかで撮れるだろうという。そういう感じだったんです、最初は。

 その場合に、いろんな現場がありますね。さっき無作為とおっしゃったけど、その辺もう少ししつこく聞きますと、現場、例えば魚河岸とか街頭とか、その場所に関しては演出部分といいますか、つまり萩元さんなり村木さんが今回こういう場所でやろうじゃないかということは決めといて、そん中の誰かということに関してはインタビュアーに任せる、そういうことなんですか。

村木  
ええ、全く偶然。

原  
偶然でいいんですか?

村木 
そんときいた人。場所だけは決めたんです。魚河岸とかね、東京大学の構内とか、新宿駅とか、デモ隊の中とか(笑)。そういうのを決めたんですけど、あとは全く自由です。

原  
ちょっと細かいことになるんですが、子どもが登場して答えてますが、あれが一番おかしかったけど、あれは誰がアイデアを出されたんですか?

村木 
あれはどっかの小学校。小学生だけで三十余人ぐらい撮りましたから、そん中の1人だと思う。

原  
あの子どもが一番ストレートに正直に答えていて気持ちがよかったですね。逡巡がなくて見事でした、あれは。

村木  
つまり、あなたは誰ですかって言われて、みんな一瞬ドキっていう…。

原  
そうそう、そう、そうそう。

村木  
一瞬があるでしょ。あの子だけなんですよ、すぐ何の誰それですって、しかも名前を名乗ったのは。

原  
作品の冒頭に字幕で何人って出たのを、ちょっとメモをしそびれたんですが、何人の人にインタビューしたって出てましたかね?

村木
さあ…。

3桁みたいですよね。誰か覚えてないかな? 俺メモしようとして忘れちゃった。

村木  
八百何人ぐらい…。

原  
八百何人か。すさまじい量じゃないですか。

村木
そうですね。

 何日ぐらいかけて、これ、撮影行われたんですか?

村木
ひとつきぐらいでしょうか。

原 
毎日毎日?

村木 
毎日毎日。

それを4台のカメラっていったら、フイルムの使用量も莫大なもんですよね?

村木 
たまたまこれは芸術祭参加作品ということだったんで、特別お金をかけることができた作品ですね。つまり、TBSはそれまでドラマのTBSといわれて、若い人にはもうわからないでしょうけど、かつては(笑)。私もその一番底辺にいたんですけども。つまりドラマでは日本テレビに野球は取られたけど、ドラマでは負けないというそういう伝統みたいなのがあったんです。それがだんだん危うくなってきて、次はドキュメンタリーのTBSを作ろうというふうな会社の方針みたいなものがあって、そのためには芸術祭でまず賞を取れと。賞を取ることが、絶対条件っていいますかね。その代わり金は少々かけてもいいと。だから非常に恵まれた、そういう意味では制作条件だったと思います。

ちなみに、これは賞を結構たくさん取りましたよね?

村木
ええ、グランプリは取れなかったんですけども。グランプリはNHKに取られちゃったのですが、奨励賞というのが。

原 
奨励賞だったんですか。それで、1カ月間の作業がずーっと続いていきます。それで、だんだんと編集ラッシュを見るたびに印象が変わっていくと…そのイメージで認識が深まっていくといいますか、作り手たち萩元さんとか村木さんも。その辺のやり取りをどう交わしたか?少し覚えていらっしゃいますかね。少しでも覚えてらっしゃいましたら…。

村木  
さすがに覚えてないです(笑)。何しろ30うん年前ぐらいですから覚えてませんけども。

原 
例えば寺山修司はどんなふうにこれを…、深まってく過程の中で、どんなふうに捉えていったのかとか?

村木 
TBSのそばの旅館に泊まり込んで、『あなたは・・・』というタイトルを決めたときは、たしか寺山さんと萩元さんと旅館の布団の中で寝ながら、寝る前に雑談してるときに、タイトルはやっぱり『あなたは・・・』でいこうかというふうに決めたんじゃないかっていう記憶がありますけど。

原 
テレビジョンっていう方法を発見したという興奮といいますか、高揚が多分その1カ月の中にあっただろうというふうに思うんですが、それはどんなふうにですかね?

村木 
だんだんこう上がってきた…テレビというものが画ではない、ということに対するある種の答えが少し、こう、その取っかかりというか手掛かりが少しわかったような気がしたんです。それは一つは時間ということですよね、テレビは時間だと。つまり画じゃない、時間だという。時間というのはいろんな意味がありますけども、想像力の、イマジネーションが進んでいく時間であると。その時間と想像力の同時進行だというふうにその頃、これは少しあとですけども、私はそういうふうにとりあえずある手掛かりを仮説を置いてみたというか…。

▼Page3  『私は・・・』でみられた 方法論の深化 に続く