【Interview】『恋とボルバキア』喧嘩は散々した4年間でした~小野さやか(監督)・港岳彦(構成)インタビュー

2013年 『僕たち女の子』(2)
―テレビのサイズにはまらないテーマ

――『僕たち女の子』のオンエアは好評だったと記憶しています。その手応えをもとに映画化を決めたのでしょうか。

小野 うーん、実は逆に近いです。『僕たち女の子』では、本当に私が表現したかったもの―人と人が愛し合うことと、関係のために演じ合うことについて―までタッチできなかったという思いがあったんです。
オンエアの時点では、テレビとは違う方法論で映画にしたい希望はLADAKに話していたし、港さんにも伝えていました。

 『原発アイドル』では、凄く苦しかったけど達成感もあったんです。東日本大震災と東京とアイドル。あの時期にしか放送できないテーマをやったんだな、という思いがあった。若松孝二監督が亡くなったニュースが入って、えッ……と絶句した後のオンエアだったのも忘れ難くて。

小野 そうでしたよね。

 『僕たち女の子』も同じように苦しい思いはしましたけど……テレビに当てはめていくことを選択したんですよね、途中で。僕もテーマに対して太刀打ちできなかったし。
例えば、CMまたぎ(CM前に次の展開を少し見せて興味を引っ張る)の手法。当時、若木さんがツイッターでチクリと皮肉っていたのを未だに覚えていますよ。僕も最初は絶対にイヤだと言っていたのに、便利だから(笑)、使わざるを得なかった。あの辺は、かなりお互いに深い傷となって残っています。
いや、僕はそうでもないですし、『僕たち女の子』自体とても好きな作品ですけど、彼女にとってやりたくない演出が幾つもあっただろうなと感じてはいたんです。
今、彼女は「演じ合う」と言ったでしょう? これが、僕の言う意味での観念なんですよ。「演じ合うというテーマで、これとこれとこれを撮ってきた。だから外せない」と言われても、すぐには分からない(笑)。
でも、性の問題であることが大きかったと思います。そんなに簡単に理解できることではない。それをCM抜きで44分の尺にまとめた時、俯瞰するのは不可能なんですよね。だから、みひろのラブストーリーという軸でいったんまとめたんだよね。

――僕も『僕たち女の子』には好感を持ったんですよ。お互いに日本映画学校出身だからタイトルを出すと、僕たちの先輩にあたる小島康史さんが監督した『らせんの素描』(91)。あの映画が公開された時は、同性愛者の日常に対して、作るほうも見るほうも受容するので一杯一杯だったと思う。『僕たち女の子』の、そういう人もいる、はもう大前提になっているところに感慨はあったんです。
ただ、もしかしたら『僕たち女の子』のブローアップのつもりで見たから、『恋とボルバキア』の序盤に僕も少し戸惑ったのかもしれない。リブートというか、構造から作り直したと考えれば納得いくんです。
それにしても、いい緊張感のある、太い信頼関係ですよね。

 そこは、この人が率直だからです。
放送のためのものを作る考え方と、彼女本来の考えていることは全く違うんです。客観的に聞けば、テレビ番組を作ってきた先輩たちの意見はどれも正しい。それに対して彼女が一つ一つ「違う」と返す状況があって。要するに『僕たち女の子』のテーマはパッケージに当てはめて考えるものではないんだ、ということに気付いてきた。
彼女の「違う」の意味が分かったら、こっちに付くしかない。そこは信頼です。作業というか、表現に対して嘘がないから。
彼女はその分、人の欺瞞や手を抜いたところがイヤになる位に分かる。暴力的というのは、そういうところですよ。話し合いが長引いて、こっちも疲れて若干気を抜いて話してると、途端にスーッと目の色が変わる(笑)。

小野 うふふふ。

 それに、人が言ってほしくない言葉を狙って言いますね。

小野 「(登場人物の数を)減らすだけなら誰でも出来るよね」とか。

 そう、こういうムカーッとくることを言う!(笑) 人を激怒させて感情を揺さぶらせて、それが落ち着くのを待っている。それから「作業を再開しようか」(笑)。人心掌握術に意外と長けています。

結局は、ああ、モノを作ってるのはこっちだ、ということです。彼女がキレる、泣くはしょっちゅうで、僕も……。他の仕事では、怒鳴り合うなんてことはほぼ無いですよ。でも、彼女とやる時はそういうものだと。物凄く純粋なところで闘っているのが分かるので。そこが面白いんです。
『恋とボルバキア』より


2010年 『アヒルの子』
―初対面の印象は悪かった

――お話を二人の出会いまで遡らせてください。確か『アヒルの子』(10)の東京再上映の際のトークに、港さんがゲストで呼ばれましたよね。
『アヒルの子』は小野さんの監督デビュー作。小野さん自身がカメラの前で長年の家族に対する苦しみ、恨みをぶつけ、両親や兄、姉の一人一人と対決していく。現在では半ば伝説的な作品ですが、この『アヒルの子』を港さんがブログで絶賛していて。

 そう、アップリングでの上映の時に呼ばれて。あれが初対面だったかな。

小野 いや……。

 あ、思い出した。初対面でdisられたんだ(笑)。いまおかしんじさんが監督してくださった『イサク』(公開タイトル『獣の交わり 天使とやる』/DVDタイトル『罪 tsumi』)(09)がポレポレ東中野でも上映された時、ロビーにいたら劇場スタッフの人が「小野さやかさんが見に来てますよ」。
その時はまだ『アヒルの子』を見ていなかったんですが、評判が凄くいいのは聞いていて。紹介してもらって挨拶したら、いきなり「なんか、エロくないですよねー」。

小野 忘れてほしかった過去だなあ。当時はピンク映画をよく見ていたんですよ。林由美香さんの出演作の追っかけもしていて。エロいものが沢山あると思っていたのに、『イサク』は引いた距離感がずっと続く映画でしょう? 「待て」と言われっぱなしのような……多分、脚本の狙いみたいなことを聞きたかったんです(笑)。当時は何も分からずにものを言ってたんで、港さんもポカーンという感じで。

 いやいや、ほんとイヤな奴だなって評価ダダ下がりだったよ! なのにトークに呼ばれた。まあ、『アヒルの子』を見たらとんでもない傑作でしたからね……。

小野 港さんがブログに書いてくれた評が凄く良くて、何度も何度も読み返していたんです。それにちょうど公開していた『結び目』(10)が素晴らしかったから、ぜひお呼びしたいということで。

港さんは日本映画学校(現・日本映画大学)の先輩にあたりますけど、ドキュメンタリーゼミなんですよね。だから見方が違うんだな、というのがあった。

――そうなんですか。てっきり脚本ゼミだと思っていました。

 当時は三年制で、一、二年の時は脚本ゼミでした。三年になった時にドキュメンタリーに移ったんです。学校としては本当は受け入れられないことだったらしいんですけど、強引に。
脚本を書くには現実を知らな過ぎるんじゃないかと。一年の時のドキュメンタリー実習が一番イヤな経験だったんですよね。そういうイヤな経験を積極的にしていかないと学費を払っている意味が無いんじゃないかと思って。それで撮影や録音をいろいろやったり、山谷に行ったりしていたんです。
生半可なりにそういう下地があった上で『アヒルの子』を見て、何に一番衝撃を受けたかと言うと実は構成なんですよ。起きている現象はもちろん凄いんですけど、その組み立て方がメチャクチャ上手い! と思ったんです。
僕が思う女性性みたいなものが爆発していく過程が、イングマール・ベルイマンなど好きな監督の作品とほぼ同じ道筋をたどっていくわけです。まず現在があり、その現在に問題があり、過去をたどっていくと家族との関係など問題の源泉に突き当たる。

小野 うん。

 ところが『アヒルの子』は自分と家族だけで終わらず、自分と同じ問題を抱えた人がいるはずだと全国を旅する展開になる。自我の源泉をたどった果てに、他者を探す旅に出る。世界を知るわけですよね。あそこが本当に拍手もので、物凄く興奮したんです。霧の中を歩くところがあるじゃない?

小野 ありますね。

 あの辺から、これこそ映画だなと。フィクションとドキュメンタリーの違いは関係なくなる位の。そこまでの日本映画を僕はほとんど見たことが無い。個人の興味の範疇である宗教や家庭のテーマとバリバリにリンクしたことも大きいんですけど、これはとんでもない、という感じだったんですよ。しかも本人も、初対面でいきなりdisるような奴で。ところがいざトークをやってみたら、妙にしおらしかった(笑)。

小野 『アヒルの子』は日本映画学校の卒業製作作品ですが、もともと〈汚れた女〉というタイトルのシナリオを書いていて。そこで、汚物まみれのAV女優が海に飛び込む場面を書いていたんです。
それが、『イサク』のヒロインが裸になって海に入り浄化される場面とシンクロして、私の中でかなり揺さぶられるところがあった。ヒロインに感情移入し過ぎて、もっと愛してあげてほしいという気持ちで言ったんだと思います。

 『アヒルの子』も『イサク』も近いところあるもんね。宗教と親との関係。で、そのトークの後にちょこちょこ『アヒルの子』チームの人たちと飲んだりして。それ以降は、しばらくはなかったよね。

小野 空きましたね。東日本大震災後まで特に会うこともなかった。『隣る人』(12)に参加したり、私自身が違う方向に行ってたから。
『恋とボルバキア』より

▼page3  2012年『原発アイドル』(1)―テレビが分からない者同士で一緒に、と口説いたに続く