【Interview】『恋とボルバキア』喧嘩は散々した4年間でした~小野さやか(監督)・港岳彦(構成)インタビュー

2017年 『恋とボルバキア』(4)
―分からないから撮らせてほしい

――稿を重ね、削ぎ落したり磨いたりした結果の上だとは思うけど、出てくるみなさん、本当に言葉がキレイですね。『恋とボルバキア』を見て、僕が一番感じ入った部分です。

小野 私もそう思います。日常会話なのに映画のセリフみたい(笑)。

――「この人の前だとお姫様になれる」「眠る前が一番好き」などなど、名ゼリフの連続ですもんね。語彙がどうとかではなくて、言葉の扱いにとことん慎重な感性から出ている。不用意な言葉ひとつでどれだけ傷つくし傷つけるか、痛いほど知っている人たちだと思うので。

 いろんなことがあってああいう言葉が出てくる人たちですよね。ただ、登場人物はそれぞれパフォーマーの側面も非常に持っているんですよ。

――ああ、そうか。

 取材が始まってカメラの前に立つことになった当初は、性の多様性などについて話そうというモチベーションがあったと思います。で、今そうした部分は大して残っていない。彼女もそこはそんなに撮ろうとはしていなくて。

小野 うん。

 主張はいいから人間を見せてほしいと。表面上のパフォーマンスの次のレイヤーに入った時に、彼らも率直になったという気がするんですよね。
王子のインタビューもいろいろ見ましたけど、そんなに簡単になんでも話す人じゃない。凄く弁が立つし頭のいい人だけど、ほんとうのことはほとんど言わないなっていう印象でした。映画の王子は、かなりコアなことを話してくれるようになってからの王子です。

――言われてみると、『僕たち女の子』の王子は女装での登場が多かった記憶があります。『恋とボルバキア』の王子は、もっぱら普段着姿。はずみさんも、キマッたポーズでフレーズを言うところから登場するけど、じゅりあんさんとのプライヴェートを見せるようになる。

 結局は関係性ですよ。彼女は分からない時は分からないと率直に言い、説明を求めるタイプだし、登場人物も、カメラの前で分かりにくいことは一つも言っていない。みんなの言葉がクリアーに聞こえるのは、そういう対話を重ねて関係を築いた結果だと思います。
言葉ってコミニュニケーションや関係次第で、そのつど変化していくものだから……言葉に対して彼女は鋭かったと思いますよ。「この言葉はイヤだ」とか、編集中の取捨選択は厳密でした。

――そこまで教えてもらうと、王子の独特の魅力がより分かる気がします。ガードは100%外してはいないままかもしれない。でもこの人はその分、周りの誰に対しても等しく優しさを注ぐと決めているんじゃないだろうか。そういう覚悟がある人だろうなと感じました。
無理に踏み込んでガードを外そうとしない良さがある映画ですよ。

小野 そういう場面も実はあるんですよ。でも使わなかったんです。この情報量でそれ以上はってこともあるし、見る側も責任の負えないような傷を、ほんとうに見たいのかなっていう。

――終盤、みひろは井戸さんへの恋を通じて強くなり、魅夜さんもまた新たな模索を始める。そして、ズレを感じたまま暮らしているはずみとじゅりあんの、夜のドライブ。そこで小野さんは1人ずつに同じ質問をぶつけます。難しい場面をラストに用意していますね

小野 あそこは編集の、最後の最後に、覚悟を見せるために自腹で撮ってきました。

 やろうと思えば、もっとうまくまとまるんですけどね。なぜ彼女がうまくまとめるのがイヤかを要約すると、体感と違うってことらしいんですけどね。それで追加の撮影になった。

小野 あの時、はずみとじゅりあんから別々に別れ話が出ていると聞いたんですよ。ああ、恋について撮ってるんだからこういう局面も出てくるんだ……と、そういうことになって思いました。
別れ話を出来る範囲で撮りたいとそれぞれに相談した時、じゅりあんにはかなり激しく怒られました。「ドキュメンタリーなのに本当に別れたらどうするの?」「はずみが本心を隠して話をしたら、ドキュメンタリーをやる意味があるの? ほんとうの気持ちが小野ちゃんには分かるの?」って。
「分からないから撮らせてほしい」と二人を別々に説得して、それで、三人でドライブに行くことになったんです。
最悪、出演NGになる可能性もあるなかでのドライブでした。二人とも本気で怒っている。撮られたくないことだから。じゅりあんにも「私しゃべらないからね」と言われていて。
その時にね、ほんとうのことを言わないものがドキュメンタリーなのかと問われたことが私の中で刺さっていたので、あの質問になったんです。
一緒にいてもお互いのベクトルが違う、相ならないという様を見せたかった、に尽きるんですけど。

――気持ちのよい回収をせず、よくここで終われるもんだなあと感じたけど、自分に忠実に生きたいと望むがゆえの苦しさの吐露だから。話を伺うと、正しい終わり方だと思います。

小野 ドキュメンタリーが彼女ら、彼らの人生を全て描けるかというと難しいと思うんですよ。出てもらうことがプラスになる確率は、ゼロだってこともあるわけだし。
せめて価値があるとしたら、冷徹にストーリーを組み上げていき、私たちなりの現段階の答えを描くことかなと思って、今の形になりました。
基本的にはね、エンタテインメントを目指して作った映画なんですよ。

――うん、恋愛映画、青春映画の甘酸っぱい魅力は本当にあります。恋愛と真摯に格闘するカップル、人生を精一杯生きている人たちのグラフィティ。

小野 だから外せなかったんです。どの人も現実を背負って生きているから。私の中に8人の優劣はなくて。何より、誰一人編集で外さないことが、4年間付き合ってくれたことへの最低限の恩義だと思っていた。
『恋とボルバキア』より

▼Page6   2017年『恋とボルバキア』(5)―結局は、お互いに何を作ってきたか に続く