【鼎談】クリス・マルケル特集上映記念『レベル5』をめぐって  越後谷卓司×渡辺真也×金子遊

『レベル5』

映画作家・アーティストのクリス・マルケルが、2012年7月に亡くなってから7年が経つ。『ラ・ジュテ』や『サン・ソレイユ』などの代表作をのぞけば、マルケルの作品は美術館やシネマテークで作品上映がされてきたものの、一般の映画館ではなかなかお目にかかることができない。このほど配給会社のパンドラが日本配給権を獲得し、4/6(土)から2週間、「クリス・マルケル特集2019<永遠の記憶>」が渋谷のユーロスペースで開催される。『シベリアからの手紙』『ある闘いの記述』『イヴ・モンタン~ある長距離歌手の孤独』など日本初公開の作品を含む、8作品が一挙に上映される。それを記念して、2018年3月31日にアテネ・フランセ文化センターでおこなわれた、日本語字幕版『レベル5』の上映後シンポジウムをここに収録する。

シンポジウム登壇者:
越後谷卓司(愛知県美術館主任学芸員)

渡辺真也(『Soul Odyssey―ユーラシアを探して』監督/キュレーター)
金子遊(『インペリアル 戦争のつくり方』監督/批評家)


特別上映のきっかけ

松本正道(司会):それでは只今よりシンポジウムをはじめます。本日は、クリス・マルケル監督から影響を受けて映画の制作をなさっている映像作家のお二人と、現代アートと映像研究をなされている学芸員の方にいらして頂いています。それでは、ご紹介致します。皆さまから一番右側の方、『インペリアル 戦争のつくり方』(14)をお撮りになった批評家の金子遊さんです。よろしくお願いします。(拍手)

それから真ん中がキュレーターの渡辺真也さんです。『Soul Odyssey – ユーラシアを探して』の監督で、今回の『レベル5』日本での上映についてアルゴスフィルムと交渉なさられ、しかも字幕の制作もして頂きました。よろしくお願いします。(拍手)

そして一番向かって左側の方がクリス・マルケル本にもお書きになっている愛知県美術館主任学芸員の越後谷卓司さんです。それでは、今回の日本に於ける上映のきっかけを作られた越後谷卓司さんに司会をお願いして、早速シンポジウムはじめて参りたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

越後谷:ご紹介頂きました越後谷と申します。私が最初に『レベル5』を拝見したのは、確か1997年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でして、その時の山形で一番印象に残った作品だったんですね。私の記憶では、フランス映画社がこの映画を公開するという前提にたって上映されたと思います。確か、クレジットにもフランス映画社のマークが入っていた、という記憶まであるのですが、どうもこれは私の思い込みのようです。いずれにせよ、恐らく翌年くらいには「劇場公開されるんだろうなぁ」という気持ちで拝見していたのですが、何故かそのようにはならなかった。「山形」ではその後も何度か上映されているものの、クリス・マルケルの長編の中でも、かなり重要なものであるにもかかわらず、非常に上映の機会が少ないと。まぁ「沖縄戦を扱っているからとか、そういう事情もあるのかなぁ」と思いつつ、やはり、何らかの形で私の勤めている愛知県美術館で「いつかは是非上映したいな」と思っていたんですね。

ちょうど1年前ですかね、東京のワタリウム美術館でナムジュン・パイクというビデオ・アーティストの展覧会がありまして、それに関連する形で渡辺真也さんの『Soul Odyssey』という映画が、限定的に上映されたんですね。これはナムジュン・パイクと美術家のヨーゼフ・ボイスに関するドキュメンタリーなんですけれども、実はクリス・マルケルの影響を受けていて、一種のマルケル監督へのオマージュにもなっているというユニークな映画なんですけども、「先ずは、それを上映しよう」というのが一つのきっかけでした。それに合わせて、私の勤める愛知芸術文化センターにコレクションとしてナムジュン・パイクの作品があるので、それも上映し、且つ、マルケル監督の作品も上映して、ひとつのプログラムが出来るだろうという事が最初のきっかけだったんです。このタイミングで『レベル5』を上映しようと私は思っていなかったんですが、渡辺さんと連絡を取り合って、クリス・マルケルの作品で何本かプログラムに入れたいんですけれども如何ですか?と相談した所、渡辺さんが非常に『レベル5』にこだわって「是非これを上映したい!」との熱意があって、「いやぁ、これは難易度が高いし、難しいのではないかなぁ」と思いつつ、実は『Soul Odyssey』の中に『レベル5』が引用しされているし、既にアルゴスとの繋がりもあって、交渉してみて、もしかすると上手く行くかもしれないと。というところが出発点でした。渡辺監督は、クリス・マルケルと生前、亡くなる直前くらいに…

渡辺:亡くなる3週間前ですね。

越後谷:連絡を取られたりなどの繋がりがあって。では渡辺さんに話を繋げたいと思います。

渡辺:ありがとうございます。今回、私は『レベル5』の字幕を制作したのですが、この映画は私が人生で最も影響を受けた作品です。そして、私が自分の映画以上に多くの人に観て欲しいと心の底から思う唯一の作品です。この映画との出会いを話さなくてはなりません。

私は高校生の頃から映画が好きで、ゴダールを観たりなどしていて、大学に入った時、映画に興味があったので「シネマ研究会」というサークルに入って、「映画を作りたいなぁ」と考えていたんですね。20歳の時、アジアをバックパック旅行し他のですが、その時、友達からSONYのデジタルビデオを借りて、2か月旅をしながら「旅行映画を作れるんじゃないかな」と、実験的な取り組みをしていました。その時、マレーシアで戦争体験を話すおじいさんに出会う等、衝撃的な出来事がいくつかあったのですが、私はそのおじいさんに「私があなたから聞いたものを映像にして、日本の若者に伝えたい」と言った所、涙を流して握手して別れる、という体験が2ありました。その際、20歳の4月に日本に帰って来て、5月にアメリカに留学することが決まっていたんですね。それで1ヵ月間で映画にしようと思い立ち、当時、初代のVAIOが出た頃で「購入すれば映画製作が出来る!」のようなCMがしていて…、

金子:それは何年くらいのできごとですか?

渡辺:私は1980年生まれなので、2000年の4月です。先輩の家に泊まり込みでVAIOを使って編集していたのですけれど、全然パソコンが思うように動かなくて、技術的な問題から映画が出来なかったんですね。本当、不眠不休で取り組んでいたのに、心底悔しくて「俺のおじいさんとの約束はどうなるんだ!」と思っていた矢先に、先輩が「渡辺、映画制作はもういいから、一旦休んで映画を観に行こう」と言い出して、誘って下さって観た映画が、日仏学院で上映されていた『レベル5』でした。

金子:この『レベル5』で素敵なグラフィックが出てくるじゃないですか?本日のエンドロールを見ているとPower Macの8100で作っていて、僕は90年代後半にMacのPhotoshopなどで画像処理とかやっていて、Macで動画も編集できるようになっていた。それを経験しているので、時代の雰囲気がわかります。1分の映像をレンダリングするのに三日三晩かかるという、2000年の時点ではまだコンピュータの処理速度はその程度でしたね。

渡辺:実際に私が映像を作れなかったことで、コンピュータだけで1人でこれを1996年に作っていることに驚異を感じました。当時は、福崎裕子さんの同時通訳で観たんですね。何故この映画には字幕がついていないんだろう?と疑問だったんですけど、当時の20歳の私は、それを観たときに、本当に声が出なくなるくらい衝撃で、その時私は、「これより良い映画は私には絶対作れない」と悟ったんですね。だとしたら、私はこの様な優れた映画を紹介する側になろうと思って、キュレーターになろうと決心して渡米して、ニューヨークで美術修士を取って、私の代表作になる-「アトミックサンシャインの中へ – 日本国平和憲法第9条における戦後美術」という展覧会をニューヨークで作って、東京に巡回させて、そこから沖縄の県立美術館に巡回させました。その時、沖縄で『レベル5』を上映できないかなと思って、福崎さん経由でマルケル監督と連絡を取りました。その時も、映画上映の大変さを痛感したのですが、なんとか実現しました。

金子:それは沖縄の論客・仲里効さんらがトークに登壇されて、沖縄の聴衆の方々がかなり激高したという伝説の上映会のことですね。

渡辺:そういった伝説の上映が、私の前にどうやら2回あったようで、お客さんがビール瓶をスクリーンに向けて投げ始めてしまったりとか、あってはならないようなことが起こってしまったそうです。

金子:『レベル5』はかなり複雑にできていて、僕も4、5回観ていると思いますが、物語の構造を把握するのがとても難しいので、沖縄戦に関する歴史的ドキュメントとして観てしまうと、本当の価値が見えにくくなってしまうかもしれません。むしろそれに対するアンチテーゼみたいな映画だったりするので。こんな風にゲームを完成するというかたちで、沖縄の悲劇を扱っていいのかといった、沖縄の方々の気持ちを逆なでするところがあるとだろうなとは思っていたんですけど、上映をしたらやはりそうなったという話を聞いたか読んだことがあります。

渡辺:沖縄に県立美術館が出来て、私が初めての外部キュレーターとして入ったのですが、あり得ないようなことがたくさん起こるんですよ。1つ例を挙げると、検閲の問題で炎上も経験したのですが、松澤宥さんの『人類よ消滅せよ』という作品が教育上良くないということで、展示から外せという話になった時に、「これはダダイズムの作品だから」と美術館の学芸員に話したら、美術館の学芸員は誰一人としてダダイズムを知らなかったんですよ。これは本当に深刻だなと痛感して、関係者一同60人くらいが集まる場所で、何故スイスのチューリッヒでダダイズムが始まったのか、近代美術館はこのような役割があるという説明を行なったんですね。そうすると60人居るうちの半分が渡辺を排除しよう派 – ヤマトンチュに収奪されるな。そして半分は、どちらかと言うと戦後復帰以降の72年以降の若い人達で、渡辺さんがようやく沖縄に近代美術を持ち込んでくれたという、その狭間で、とても大変でした。この『レベル5』を上映する前に、私は丁寧に「これはフランスの映画監督クリス・マルケルが沖縄戦をテーマにしたサイエンス・フィクションであって、ドキュメンタリーではないんだ。これは美術作品として観て欲しい」と話して上映しました。

上映会は無事成功して、その様子を3枚写真に撮ってクリス・マルケル監督に送ったら、とても喜んで下さり、マルケル監督はそれを作品にして送り返してくださって。その時にマルケル監督がメッセージをくれて、とても気に掛かったのですが、そこには「I had a very strange experience in Okinawa.」と書いていて、「それは何ですか?」と訊くと答えて下さらなくて。何故かというとマルケル監督は絶対にインタビューに答えない方で、それが私とマルケル監督の2009年、私が29歳の時の出会いでした。

それから2011年から博士論文をベルリン芸術大学で書くべくドイツに行ったんですけれど、2012年の7月くらいに神経を痛めて歩けなくなってしまって、その時、死を覚悟するというのは大袈裟ですけれど、入院して3日経っても原因がわからなくて、体が動かず、立てなくなるという体験をしました。その時に「私はこのまま駄目になってしまうんじゃないか」と一瞬思ったことがあって、そこから世界が変わって見えはじめたんですね。そのときに私が決めたのは「元気になったのなら、やりたいことをやろう」と思って、やっぱり人は一度しか生きられないから、何もできなくなったときに本当に虚しくなって、その時決めたのが「クリス・マルケルだけには絶対に逢いに行こう」ということでした。そしてマルケル監督に「私は入院して、そして退院して、あなただけに逢いたい」と書いたら、マルケル監督は「僕も実は今、病院に居るんだ。ここに暫くは居ることになるのだけれど、君が20歳で『レベル5』を観たことは、映画を作らない理由にはならない。若さとは、これから何かが出来るということなのだから、それだけは覚えておいてほしい。Believe me, I know what I am talking about.」とメッセージを下さり、その3週間後にお亡くなりになったんですね。その時、とてもショックを受けて。

金子:マルケルはとても真摯な人ですね。

渡辺:そうなんです。そこから、この映画が生まれた訳なんです。この映画のハイライトがボイスとパイクのユーラシアという…

金子:二人の芸術家の真髄を求めて、渡辺さんが旅をする『Soul Odyssey』がはじまったのですね。

渡辺:ユーラシアを博士論文のテーマにしている私が、ドイツから日本に陸路で帰るんですけれど、クリス・マルケルはウランバートル生まれを自称しているので、ウランバートルのシャーマンに彼の魂を降ろしていただいて、そのシャーマン経由で『レベル5』の質問をする、というシーンがハイライトの映画です。(会場笑)

金子:ご本人の説明よりも、もっとハイライトはたくさんあって、すばらしい映画でしたよ。(会場笑)ヨーロッパから旧ソ連を通って静岡まで陸路で帰って来るという旅のエッセイ映画ともいえますね。

渡辺:ここで金子さんの方にお話しを移します。

▼Page2  マルケルを研究する に続く