【連載】「視線の病」としての認知症 第16回 長すぎる休日 text 川村雄次

エリザベスとクリスティーン、ポール

 向き合って腰かけると、楽団FUKUのメンバーそれぞれの思いがあふれた。
 1年間、どんなに彼女に会うのを楽しみにしていたか。自分たちにとって、クリスティーンとポールは生きる目標であり、神様のような存在なのだ、と語るメンバーもいた。

 ところが、クリスティーンの答えはそっけなかった。
「ひとつお願いがあります。私を神様扱いするのをどうかやめてほしいのです。私は人々の認知症への見方を変えるための触媒にすぎません。そのことは頑張ってきたつもりです。でも、私はたくさんの助けを必要としている、完璧とはほど遠い人間です。ポールはいい人なので、私のよくない点について一切言わないと思いますが、私は自分のすること、考えることで恥ずかしく思うことがたくさんあります。認知症とともに生きることが耐え難くなるのです。私はひどく怒るし、後ろ向きにもなります。外に出て何かをするのも嫌だし、教会にも行きたくなくなるのです。ポールはいつも何かをやらせようとするから、私は文句を言うのですが、それでも彼は私を励ますのです。」

 ポールが付け加えた。
「クリスティーンは今週皆さんに会うことを、さっきまでは楽しみにしていなかったと思います。」
 体調不良もあって外に出たからず、人にも会いたがらないクリスティーンを、ポールが「友達が来るよ。会ったら楽しいよ」と励まし、ようやく引っ張り出すことが出来たということだった。

 川窪さんやみどりさんにしてみると、はるばるオーストラリアまで会いに来て、そんな否定的な言葉を聞かされようとは、頭から冷水をかけられるようだったに違いない。1年前、札幌のグループホームでうっとりした顔で演奏を聴き、親しく話し合った「素敵なクリスティーンとポール」との再会を期待していたのに…。だが、川窪さんは全く動揺したようには見えなかった。むしろ、よそいきの顔をかなぐり捨てたクリスティーンの素の姿に接し、身近に感じたのかもしれない。「さっそうと生きているように見えるクリスティーンも外に出たくない時があるのか…。それならば、自分と同じではないか」と。みどりさんたちがガッカリしたであろうまさにそのことに「希望」を見出したのかもしれない。

 そして、川窪さんは日本を出る前から考え続けていたことを、とつとつと語り始めた。
「頭の中のモヤモヤがずっと継続するときとね、なんか急にパッと晴れたみたいになるときと交互になるんですよね…。そこの部分から前に進めない。そのことのもどかしさというのがずっとこう…。ムラがあるんだけど続いていかないというか。そのことのつらさみたいなのが、なんかいい方法ないのかなという感じでもがくんですけれど。そこのところの答えはまだちょっと遠いのかなと…。」

 聞きながら私は、「この発言は通訳が難しいな」と思った。ひとりごとなのか質問なのかも分からないのではないか。整理すると、「頭の中がモヤモヤする時とパッと晴れる時とが交互に来るのだけれど、晴れる時間が続かないから前に進めないもどかしさやつらさがある。その状態を脱して前に進む良い方法がないかともがいている。もしあれば教えてください」ということだろう。それこそが、川窪さんの悩みだった。それをどうやって訳して伝えるのだろう、伝わるだろうか、と私は思ったのである。だが、クリスティーンには川窪さんの言いたいことがよく分かるようで、通訳の声に耳を傾け、じっと何かを考えている様子だった。

 認知症とともに生きる人たちが共有する共通の感覚があるらしい。川窪さんはそれを「モヤモヤ」と言い、クリスティーンは「霧の中にいるよう」と言う。最近だと、認知症医療の草分けで「長谷川式」の開発者として知られる長谷川和夫さんが、自分自身が認知症になってわかったこととして、「 『確かさ』 があやふやになってきた」と言っている。「朝起きて少し時間がたつと、今が昼か、間もなく夕ご飯なのか、はっきりしなくなる。外に出かければ、ふと 『あれ、自分はいまどのへんにいるのかな』 と思ったり。そんな感じです」と。(朝日新聞2019年9月26日掲載のインタビューなど) また、7年前に39歳で認知症と診断された男性は、先日私にこんな話を聞かせてくれた。朝起きた時、隣に寝ている女性を見て、「誰だろう」と思うのだが、落ち着いて考えると「妻だ」とわかる。長谷川さんが言う「 『確かさ』 がない」ということがよくわかるのだ、と。

 認知症というと、「もの忘れ」と言われるが、単に「記憶力が衰える」というだけの問題ではないのである。自分の思っていること、感じていること、考えていること、すべてがモヤモヤしてはっきりしない。霧の中にいるようで、「確かさ」がないとは、自分と世界をしっかりと結びつけていた「ひも」が、ゆるみ、ほどけていくような感覚だろうか。記憶も「ひも」の1つであるが、それだけではなく、その他多くの「ひも」がほどけていくのだ。それは、かつて精神科医の小澤勲さんがくり返し語っていた、認知症とともに生きることの根底には「不安」がある、ということとつながっていると思われる。

 話を川辺に戻す。
 川窪さんが語った「モヤモヤのつらさ」は、クリスティーンだけでなく、ポールやエリザベスにも伝わっているようだった。日本ではあまり語られることのない問題だったが、クリスティーンはそのことを本に書き、講演でも語っていたから、彼らにとっては共通の認識になっていたのだろう。そしてこの日、川窪さんの「問いとも言えないような問い」に答えたのは、エリザベスだった。診断直後のクリスティーンのあらゆる悩みを聞き、「どうすればモヤモヤを脱して前に進むことが出来るか」をともに探り続けた彼女は、こう語った。

 「その人にとってそれまでの人生で何が大切だったかというバックグラウンドを知ることは重要です。問題はそこにどうすればつながっていけるかなのです。宗教的な儀式などである場合もあるでしょうし、美しい花や、身の回りにあるもの、音楽や芸術の場合もあるでしょうし、特別な人間関係である場合もあるでしょう。いずれにせよ、その人が自分の人生の中で意味のあるものとつながっていることは、本当に大切なことです」

 エリザベスのこの答えは、私たちには一般論のように聞こえたのだが、川窪さんには響いていた。それこそ、ガーンと大鐘が鳴りわたり、パッチリ目が覚めたようだった。通訳を聞き終え、何度も深くうなずきながら、“I see.”(分かりました)とひとこと英語で答えた後、川窪さんはこう述べたのである。

 「(私は)音楽が特に好きで、今、グループホームでお世話になっている時、クラリネットが主なんですけど、それをみんなに聴いてもらったり、そういうことをすることが今楽しい。そういう意味では音楽を、中学校ぐらいの時からずっとやってきたことが、自分の人生の中でもうるおいになっています。続けてきたことはよかったなと思います。」

 響いたのは、「音楽」という一語だった。川窪さんは中学高校時代ブラスバンドに打ち込み、その後も35年、楽器メーカーで働いていたのである。あまりにも身近だったので、大切なものだとは意識しなかったのかもしれない。その音楽と、認知症になってもう一度出会い、札幌でクリスティーンの前で演奏したのがきっかけでオーストラリアにまで来たのだった。エリザベスが特別だったのは、その音楽について「よいご趣味ですね」とか「脳の活性化になりますね」などというよりもずっと大切なものだと認めたことである。「人生の中で意味のあるもの」なのだと。川窪さんもそう言われることに何の違和感もなかった。ストンと腹に落ちた。それまで生きてきた人生で大切にして、武田さんたちと今やっていること、これから生きていくことがスッキリと1本につながり、視界をさえぎっていたモヤモヤが一瞬晴れ、次の一歩を踏み出す手がかりを得たようだった。

 エリザベスは満面の笑顔で川窪さんに答えた。
 「それは素晴らしいことだと思いますよ。今までの人生で意味のあったことを続けることの、よい1例だと思います。そこにつながっていけるよう手助けすることは、とても大切なことです。あなたにとって昔からずっと音楽が大事だったということが、今、『生きる意味』 を探すうえで中心になっているのだと思います。よかったですね。」

 川窪さんは再び英語で、“Thank you.”(ありがとう)と述べ、何度も深くうなずいた。川窪さんの中の深いところに眠っていた種子にエリザベスが触れ、芽を出した気がした。

川窪さんとみどりさん

 こうした話し合いを武田純子さんはじっと黙って聞いていた。川窪さんたちが心おきなく話が出来るよう、口を挟まないことに決めているようだった。札幌で見てきた川窪さんが秘めていた思いや表情に触れ、いちばん驚いたのは、おそらく武田さんだったに違いない。あの生あくびと居眠りばかりの川窪さんの、この変わりよう。少年のような目の輝きはいったい何なのか?この日、それらを引き出したのはエリザベスだったが、もとはと言えば、武田さんが1年半にわたって暗中模索してきたことの延長として出てきたものだった。

 武田さんは、話し合いの最後に短く語った。
「私たちは今まで仲良しはいっぱいしてきました。遊びにも行きました。楽器もやってます。そういうことはいっぱいやってきたんだけど、心の奥底の大変なことを話し合うことは、今までしてきませんでした。そんなに奥まで入らなかった。」

 続きがありそうだったが、まだ言葉にならないようだった。

 それにしても、どうしてエリザベスは、その日会ったばかりの川窪さんの心の奥深くに触れることが出来たのだろうか。この連載の第12回に書いたように、牧師であり看護師である彼女には、診断直後のクリスティーンの悩みを聞き、聞いているうちに自分ひとりが聞くだけでは惜しいものがあると思って、書くように促した経験があった。本の出版をきっかけにクリスティーンは認知症当事者として声をあげ、「人生の続き」に踏み出していくのだが、その後エリザベスは、「クリスティーンに必要だったことは他の認知症の人にも必要なのではないか」と考え、クリスティーンと行ったのと同様の「深い対話」を行うための「スピリチュアル回想法」を開発した。認知症によって認知機能や感情が変化し、失われても、最後まで失われないもの(スピリチュアリティ)に目を向け、そこに関わるための方法である。その核になるのが、「生きる意味」という概念だった。認知症になって「生きる意味がない」と思っていても、それまでの人生で大切にしていたことを見直すなどして、「いま生きている意味」を見つけることが出来る。音楽や芸術は、宗教や自然とならんで、そこに近づく媒介になると、彼女は位置づけていた。

 「生きる意味」という言葉は、我々日本人には縁遠いと考えがちだが、川窪さんには、「音楽」と同様、深く響いているようだった。クリスティーンに必要だったことは、川窪さんにも必要だったのである。