「活動屋の魂」を持った映画人の育成を目的に 原一男監督が1995年、山口県萩市で立ち上げた「CINEMA塾」。第1回目のゲストは故・深作欣二監督。3日間の連続対談を通じて“映画とは何か”の問いを深めた。前回の「ヴァイオレス篇」に引き続き、今回は2回目「虚構篇」をお届けする(neoneo編集室)。
【於 HAGI「スカイシネマ」’95.8.19〜21】
(構成:原一男 構成協力:長岡野亜、金子遊、佐藤寛朗)
■これまでの連載
【連載①】原一男の「CINEMA塾」’95 深作欣二×原一男「ヴァイオレンス篇」
■ new「CINEMA塾」講座 開催中!
セルフドキュメンタリー傑作選「極私の系譜〜映像の中の欲望たち〜」
【Interview】なぜ今、セルフドキュメンタリーを探るのか〜newCINEMA塾 原一男監督10,000字インタビュー
“虚構”を演じるということ
原 監督とのシンポジウム、2日目です。今日は虚構というテーマを設定しておりますが、かなり難しいですね。
深作 (笑)。難しいですね。
原 何とかいろいろ解きほぐしながらいきたいと思います。今日は私のほうから問題提起というか、きっかけを作って始めたいと思います。じゃあよろしくお願いします。
深作 よろしく、どうぞ。
小林 まず『火宅の人』なんですけれども、公開された1986年、あの年に私たち、井上光晴さんと出会いまして、あの頃は『ゆきゆきて、神軍』の編集をやってた段階だったもんで、とりあえず私1人が伝習所に行ってみようということで行ってみると、井上光晴さんの中にいろいろ人間関係が見えてくるんですね。それを原に帰ってくるといちいち伝えまして、そうすると原が「ドキュメンタリー版『火宅の人』をやってみたい」と。
深作 (笑)。そうですか。
小林 はい。そう言ってスタートしたわけなんです。ところがスタートしてみたら、これはちょっと『火宅の人』とは大違いなんじゃないかなっていうようなところがありまして、そこら辺のところ、ちょっと原さんのほうから話してもらいたいと思うんですが。
原 井上さんの講演を聞いて、井上さんっていう人はとてもいいな、撮りたいなと思ったんです。なぜ井上さんに引かれたかっていったら、井上さんの発言の内容に「虚構と現実」、「関係を変える」とか、そういう言葉が出てきたんですね。そういう言葉っていうのは、私たちがドキュメンタリーを今までやってきて、自分たちの問題意識とほぼ同じだったもんですから、これは面白そうだと。もちろん井上さん自身も役者っていうふうな感じをさせてくれる人なんですよね。ドキュメンタリーっていっても、やっぱり役者じゃないとですね、ドキュメンタリーの主人公になる資格がないっていうふうに私たちは思ってるんですよね。
深作 そうでしょうな、奥崎謙三さんと同じようにってことですね。
原 おんなじなんですね。で、役者だと。で、虚構っていうことを彼が言ってる。ならば、虚構ということを演じてもらおうじゃないか。どういうふうに見せてくれるのかっていう期待が一つあった。
深作 なるほど。
原 それともう一つはですね、今、小林が言いましたけれども、井上さんっていう人は無頼の人だろうと誤解したんですね。そのときは誤解とわかってません。無頼っていうのは、あとあとその話を、無頼とは何なのかっていう話をずっと引っ張っていきたいんですが、多分私自身の中に無頼思考、無頼願望というのがあるんだと思うんですね。井上さんとつき合う中で、私自身のそういう無頼願望を確かめていく作業に、きっとなるだろうっていうふうな思いがあったんですよ。撮影に入ったのはその後2年してからなんですが撮影に入りまして、井上さんとつき合い始めていくと、無頼どころか全くしっかり家庭を守る人なんですね。その辺で取っかかりとしては、檀一雄と井上光晴の共通点、いろいろあります。違うところもいろいろあります。それをまず列記していきたいというふうに思います。何が同じで何が違うか、そっから入りたいと思うんです。
深作 お断りしておきますが、檀一雄さんと私は面識がないんです。お目にかかる機会もありましたし、その頃、東映の企画本部長であられました方が檀一雄さんの高校時代からの友達で、しょっちゅう檀さんの家庭の面倒を見たり、いろいろなさってたわけですね。それで檀一雄のうちへ飲みに行くからついてこいと言われるんですけれども、どうも偉い方のうちへお酒飲みに行くのが苦手なもんですから、逃げ回ってまして、本当に惜しいことしたと、後年『火宅の人』を撮るときに思いましたけれども。ですから檀一雄さんの実像というのは私は知らないんですよね。奥さんと、それから娘さんの檀ふみさんにお話を聞くことはできましたし、亡くなられたあとのお宅へ伺うことはできました。それから、あとは檀さんの『火宅の人』ばかりでなくて、書かれたいろんな随筆や何かをほとんど読みましたけど、それを参考にしながら、今度は私自身の想像を色濃く交えながら、一つの虚構に私なりに取り組んでいったかたちなので、その辺はあらかじめお断りしときます。
原 はい、わかりました。一応映画作品からこちらが受け取ったった、多少誤解があってもいいというふうに居直ったうえで進めさせてください。えーっとですね、井上さんは“嘘つきみっちゃん”と呼ばれてるっていうのは映画の中で展開したとおりなんですが、例えば女との関係が奥さんにばれますね。そしたら、井上さんはですね、とことん嘘をつきとおす。ばれててもしらを切るんですね。檀一雄の場合は、映画を見てる限りにおいて、正直に言いますね。
深作 しゃべっちゃうんですよね(笑)。
原 しゃべりますね。井上さんは隠そうとする態度を取るんですよね。ここは違いますね。檀一雄の場合は新しくできた女との関係、女と住むことを選びますね。
深作 そうですね。
原 井上さんは旅に出て、限られた期間、女と一緒にある時間を送るっていうのは、それはそれでいいんですが、基本的にはうちに帰るんですって。例えば夜、女といろいろあったと。しかし、どんなに遅くなっても例えば泊まらないで帰るとか、そこがえらく違うというふうなところがありますね。
深作 檀一雄さんについていえば、『火宅の人』の矢島恵子という、あれは実際に今も新劇で活躍なさっておられる方ですが、この方はずっと前、小さいときから知っていて、10年来のつき合いだったと映画の中でもふれてますから、それでその方との関係ばかりではなかったようですが、つまり女性関係というのは、ほかの関係も全部、逐一奥さんに報告したというわけではなくて、奥さんもよくご存じの人物、女性ですね、その関係があったから、しょっちゅう奥さんぐるみ、それから子どもさんたちぐるみを、お嫁に行ったりなんかしながらつき合ってきたということがあるので、それでもう否応なく話さざるを得ないような心境になったということがあったと思うんですよね。
小林 井上さんは原稿を大学ノートに横書きで、もう本当に豆粒みたいな字をびっしり書くんですね。そこにいっぱい書き込みを入れて、赤線を引っ張って、一目見たらもう何だか判読できないようなノートなんですけど、それを奥さんの郁子さんが全部清書なさって、それで完成稿になるんですね。だから、必ず井上さんの原稿は、奥さんが全部清書なさるんです。それで、たった1回ありましたわね、この『火宅の人』の中にも奥さんに口述筆記。そのときなんか原さん、どうですか、あのシーン見て。
原 井上さんの奥さんが、井上さんの原稿を清書するっていう問題は、ちょっと今の小林の話だと僕らが言いたかった意味は説明になってないんですけど、要するにですね、井上さんは自分の体験を題材を取って小説にしていくわけですよね。で、いろんな小説書いてますけれども、井上さんの青年時代にですね、井上さんが関わった女の人がいる。あとで僕ら調べたんですが、郁子夫人らしい女性、実際の事件をモデルに小説にしてるわけですよね。それは井上さんと井上さんの女性と、その奥さんとの三角関係なんですよね。それは、その三角関係の1人の女性が自殺未遂を図ったっていう、ちょっとそういうショッキングなケースなんですよ。それを小説に書いて、その事件を奥さんが清書してるということなんですよね。この『火宅の人』でも、いしだあゆみの奥さんが清書してますね。それはまさに浮気小説っていうふうに言ってましたけど、そういうことを奥さんが筆記してると。そういうところがシチュエーションとしては似てるんですよね。その辺の、そこがまさに共通点なんですが。
深作 今の件について言いますと、浮気小説を奥さんに口述筆記させたということは、私のほうで作り上げたフィクションなんですよね。
原 実際には全然違いますか?
深作 実際には違います。口述筆記はしょっちゅうやってた。それで、奥さんにはもちろんやってもらうし、それから矢島恵子、彼女にも口述筆記をやってもらう。それで、いよいよ間に合わなくなると、この両方、掛け持ちというか、取っ替えっこするから、えらい誤解を招く、誤解を招くんじゃない、やきもちを焼かれるというふうなことで揉めるというようなことですね。何か、ただ浮気小説を一貫して書き続けたということを大きなモチーフとして、あのドラマの中に取り上げてますから、そうすると口述筆記というのは、否応なくその浮気小説を口述したほうが面白いですからね。あれはフィクションだったんです。ただ、やはりしょっちゅう揉めたというようなことはあったようで。