原一男監督が1995年、山口県萩市で立ち上げた「CINEMA塾」。第1回目のゲストは故・深作欣二監督。「ヴァイオレス篇」「虚構篇」と続いた連続対談の3日目は「エロス篇」だ。『忠臣蔵外伝 四谷怪談』(監督:深作欣二、94)『極私的エロス・恋歌1974』(監督:原一男、74)の上映に続いて行われたトークは、『極私的エロス〜』プロデューサーの小林佐智子、そして荻野目慶子・故・金久美子というふたりのゲスト女優を巻き込んで白熱、大いに盛り上がった(neoneo編集室)。
【於 HAGI「スカイシネマ」’95.8.19〜21】
(構成:原一男 構成協力:長岡野亜、金子遊、佐藤寛朗)
■これまでの連載
【連載①】原一男の「CINEMA塾」’95 深作欣二×原一男「ヴァイオレンス篇」
【連載】原一男のCINEMA塾’95② 深作欣二×原一男×小林佐智子「虚構篇」
■ new「CINEMA塾」講座 開催中!(次回は11/29)
セルフドキュメンタリー傑作選「極私の系譜〜映像の中の欲望たち〜」
【Interview】なぜ今、セルフドキュメンタリーを探るのか〜newCINEMA塾 原一男監督10,000字インタビュー
女優から見た『極私的エロス・恋歌1974』
司会 これより深作欣二監督、女優の荻野目慶子さん、金久美子(キム・クミジャ)さん、小林佐智子プロデューサー、原一男監督にエロスについてディスカッションをいただきます。それでは金久美子さんからご登場いただきます。皆様、盛大な拍手でお迎えください。金さんどうぞ。
会場 (拍手)
司会 引き続きまして荻野目慶子さんです。どうぞ。
会場 (拍手)
司会 そして最後に深作欣二監督です。どうぞ。
会場 (拍手)
原 ディスカッション、今日3日目です。頑張ってやります。深作監督、昨日の虚構というテーマはやっぱり、私にとっては相当に手ごわかったですわ。
深作 (笑)
原 今日のエロスっていうテーマもですね…。
深作 さらに手ごわいですね。
原 はい。さらに手ごわい感じがします。よろしくお願いします。
深作 よろしく、こちらこそ。
原 しゃべりながら時々パニックになっちゃいますので、そのときはひとつ助けてください。お願いします。
エロスというテーマの設定なんですけども、もちろんエロスとタナトス、生と死ということも包含したうえで、言葉としてはエロスっていう一言で集約させてありますけれども、そこら辺の問題をできるだけ具体的に、荻野目さんと金久美子さんにも参加していただきながら、いろいろ悪戦苦闘してみようと思っております。まず、せっかく、荻野目さんと金久美子さんにおいでを願ったんで、お二人にお話を伺うところから始めたいと思います。
とっかかりとして、『極私的エロス・恋歌1974』という映画、私の20代後半の3年間かけて作った映画なんです。タイトルもエロスっていうふうにつけてあります。赤ん坊が生まれたり、とか文字どおりエロスについての映画だろうと、作った私たちは思ってるわけです。映画に出てくる武田美由紀という女性像は、まさに70年代の典型的な生き方を体を張って表現してるというふうに、私たちも同世代なんですけれども、同時代的に生きてきたわけですが、武田美由紀についての意見っていうんでしょうか、批評でも構いません。あるいは70年代についてということでも構いませんが、荻野目さんと金久美子さんの感じ方っていうんでしょうか、そこらあたりから入っていきたいと思うんですが。考える時間、必要ですか? いきなりでいいですか?
荻野目 即答は難しいです。
深作 すみません。確かにそうだと思うので、もちろんあなたも見てはいるわけだよな。
荻野目 はい、拝見しました。
深作 私も拝見して、ちょっと度肝を抜かれたような、つまり言葉を失うような、非常に鮮烈な感じもあったので、映画は何度か見直したんですが、そのあと原さんが書かれた、単行本がございましたね、出版された…。
荻野目 疾走するカメラ…?
深作 疾走するカメラ…?
原 一番新しいやつですか?
深作 一番新しいやつ。
原 『踏み越えるキャメラ』(95、フィルムアート社)。
深作 それも拝見していて、なるほど、こういう方だったのかというような、腑に落ちたところもあるんですよ。それで、なおかつわからないところといいますか、さっき原さん、おっしゃったわけなんで、その具体的な糸口みたいなものをちょっと聞かしていただけますか? そして、そのあと…。そのほうがわかりやすいんじゃないかと思うので。
原 はい、わかりました。
深作 具体的なことを伺いますけど、武田くんのあのしゃべり方というか、あの姿勢、武田くんという方は、あなたの養護学校における先輩だったわけですか?
原 光明養護学校という肢体不自由児養護学校の中では名門と言われている学校があるんですね。彼女は僕より1年早くその養護学校に出入りを始めたんです。彼女が出入りを始めた頃には、都の職員という制度はまだなくて、個人的に障害児の子どもたちの世話をするアルバイトとして行ってたんですよね。一方で、その頃、僕は障害者の世界にのめり込んで、子どもの施設やら大人の施設、身体と精神のダブった障害を持った人たちの施設などをあちこち訪ね回ってた、そのプロセスであそこの学校を訪ねたんです。それで知り合ったんですね。僕があそこの学校に顔を出して、その翌年に美濃部さんが東京都知事選挙がありまして当選したんです。それで障害者の子どもたちの世話をする職種が制度として新しく発足したんですね。彼女が1年早かったかな、職員になったのは。いや同じ年だったかな。美濃部都知事の新しい制度が生まれたときに、彼女も職員になって、私も職員になったんですよ。だけども、あの学校に関しては1年早くかかわり始めた。彼女と僕との出会いっていうのは、本当に文字どおり処女と童貞という…ね。笑。
深作 もうひとつ伺いたいんですが、彼女独特のしゃべり方がありますよね。彼女は表現も志しておられたそうで、絵を描くのが…。
原 岐阜の美術高校で絵を描いてましたね。それで、そういう障害児の子どもたちの世話をするアルバイトをしながら一生懸命絵を描いてた。それで僕と知り合ったんです。僕はその頃、写真をやってたんです。だから、そういう話をすることがいろいろあったんですが、最初は絵ですよね。絵って二次的な世界ですよね。で二次的なものには飽きたらなくなって、描く絵に立体を持ち込み始めた。そうこうするうちに、絵じゃつまらないと。体張って何かすることのほうが面白いっていうふうに少しずつ変化していきますね。
深作 それで、絵だけじゃ面白くないといって始めたことの中に学生運動もあったわけですか。
原 学生運動はやってません。
深作 学生運動はやってない。
原 はい。ただ、若干、美濃部都政ということで、やや日共系なんですが、日共系の人たち、多いんですよね。日共系のグループと接触しまして、彼らの組合活動みたいなことはしていました。私も少し関わってたんですね。
深作 それで、彼女の、男のようなしゃべり方というのは、養護学校に就職されたときには既にもう身につけておられたわけですかね?
原 それほどでもなかったと思いますね。
深作 そうでもない…。
原 ええ。彼女のあのしゃべりは、映画を撮る前に沖縄に行ったことがあるんですよね。沖縄の方言が入ってますよね。それで、沖縄の若い学生の連中とも、あの映画を撮る前にいろいろ交流っていいますか、沖縄学生共闘委員会、つまり、全共闘系の沖縄の学生と交流があって、その辺で沖縄弁を、感化されやすいっていうんでしょうか、勘が鋭いっていうんでしょうか、すぐ方言をわがものにしちゃう、混ぜこぜですよね。
深作 なるほどね。あの中で、自分のことを何と言ったか、ちょっと今覚えてないんですけど、いろんな呼び方なさってたと思いますけども、とにかく「赤ん坊生むからな、原、おまえ撮れよ」と言うわけですよね、具体的なセリフとして。その内容は置いといて、そういうしゃべり方がすごくユニークなので、そのあとの彼女の生き様とか、それからあなたと彼女とそれから小林さんの関係みたいなものを伺う意味でも、あのしゃべり方などはどこから来たのかなということをちょっと伺いたいなと思ってたんです。
小林 あれはちょうど70年代のウーマンリブの田中美津さんたちとか、「闘う女」というグループがあって、私に対してクソとか言うわけですよ。みんな、あれが彼女らにとって標準語っていうか、一生懸命、ああいうのにあこがれるっていうか、ああいう話し方のほうがかっこいいっていうか、すてきだなって。
深作 でも、小林さんはあの映画の中で全然そういうしゃべり方をなさってませんよ。
小林 まだ田舎から出てきたばっかしだったんで。
深作 身についてなかった。
小林 そうなんです。一生懸命真似しようと思っても、なかなか…。
深作 ウーマンリブの闘いの、そういうところから、ああいうしゃべり方が生まれてきたんだというようなことは、あなたは知ってた?
小林 いや、知りません。
深作 ああいう表現があるということも知ってた?
荻野目 いや、もともと、失礼かもしれないですけど、どこか地方、あるいはもともと沖縄の方かしら?って。というのは、すごく土着的な部分っていうんでしょうか、生…生きるっていうことも、セックスの性って意味も、すべてを含めて何かすごく古代の女性っていうか、女性のたくましさ、原点を持ってるっていうんでしょうか、ベース、それが何だか今の、私も含めて今周りにいる女性とはまるで見たことがない、女性っていうよりも、何かもっと動物的な人に思えたので、すごく新鮮でした。
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